平成が終わるまでにかなえたい夢

こんにちは。

平成はあと15か月強で終わりになります。

正月は家にこもって、「平成を振り返る」正月特番などを見て過ごしていました…

というわけで、平成元年へタイムスリップ。

この年、広島市中区、紙屋町・本通・八丁堀に囲まれた一帯にある「中の棚商店街」というところで、ある祭りが開催されていました…その名も

ふうせんまつり

いたるところに風船が飾られ、カラフルに彩られていました。

このイベント、翌年平成2年も開催されました。このとき、私はアルバイトを兼ねて、このイベントの手伝いをしていました。同時開催の「GOGOひろしま春祭り」のパレードの準備を手伝った記憶もあります。

その直後、私は大学進学のため広島を離れました。このころ私は19歳。

進学先は福岡。その後、島根の会社に就職→バルーンアーティストとして独立起業するために退職→各地を転々とする(大分、横浜、鳥取など)→一時広島へ帰る→定住先を模索…当時若い芸術家を積極的に受け入れていた大朝町に移住(2002年春)…という推移をたどり、広島・山陰・四国(特に愛媛)を中心に全国各地で活動していました。東京・関西(大阪・神戸)・九州(久留米・熊本・大分など)などでも活動しており、頻繁に出張していました。

今、私は広島に戻っています。2001年ごろ一時的に広島に帰り、その翌年に大朝へ移住しましたが、大朝はすぐ近くに高速道路のジャンクションがあり、西日本各地及び首都圏へのアクセスが良かった場所でもありました。そこに10年近く居住していましたが、諸事情により2012年新春に広島へ帰ることになり、そこで半年もたたないうちに鬱になりました。

大朝は広島まで1時間かからない場所(高屋などと変わらない)だったため、次第に広島での仕事の比率が上がっていったこともあります。その上、2011年大朝は1963年の三八豪雪以来の豪雪災害にあい、そこへ東日本大震災、さらに家の事情と重なり、広島へ帰ることにしたのですが…

私は鬱になったのち、引退を決断、風船と縁を切るつもりでした。ところが2014年から活動を少しずつ再開していたところ、あるご縁に恵まれ、2016年に屋号を変更してバルーンアーティストとしての活動を正式に再開しました。

その中で天皇陛下のご退位の意向が示され、平成が正式に終わり、新元号に引き継がれることが決定され、一つの時代に幕が下ろされることになりました。

振り返れば、バルーンの技術は平成元年や2年ごろとは比較にならないほど進化しました。平成2年には、東京に2軒しかなかったバルーンショップが、平成5年(1993年)には大阪にでき、時を同じくして名古屋にもでき、その後1995年にはエミリーズバルーンアートビジネススクールもでき…今では日本中どこにいても、ごく一部を除き、バルーンが容易に手に入る時代になりました。

バルーンアートの技術もどんどん進化しました。

私は紆余曲折がありましたが、2002年ごろから2010年ごろまでバルーンアート界をリードする存在になっていました。というか、気が付いたらそうなっていたのです。

しかし、2011年の東日本大震災から少しずつバルーン業界の流れが変わり、そこへ鬱を発症、私は新しいことを学ぶ気力を失い、さらに折からのヘリウムガス流通危機が払底にまで悪化(このころ東京ディズニーリゾートではバルーン販売を1年以上にわたって中止していた)、「引退やむなし」と決断し、バルーン業界から離れました。

その後バルーン業界は変化を続け、多様化しました。

今では様々なシーンでバルーンが活用されています。

一方で私は、「本当に風船で表現できるものは何だろうか…」と考えるようになりました。風船には、それ自身の持つやさしさ、美しさ、華やかさといったもののほかに、元気、希望、夢といったものがつまっています。そしてそれらが感動を生みだすのです。

さらに、私は最近、すごく気になる傾向を感じています。それは

風船=割れる=怖い

という考えの人が子ども大人を問わず増えているということです。

この「風船恐怖症」、100人中99人は単なるトラウマで、生活に支障となったりパニックを起こすほどではないもので、やがて克服されるものらしいです。ところが、最近になってPTSDを引き起こしたり、聴力を失うケースが報告されるなど、非常にまれながら医学・生理学的に危機的な状況が起きているそうなのです。加えて調べてみると、一種の脳生理学的問題で、極めてごくまれに風船を受け付けない一種のアレルギーに似たケースがあるらしいです。発達障がいの方で、子ども大人問わずそういうケースがある、という報告もあります。

似たようなケースで、犬恐怖症というものがあり、こちらは1000人中1人の割合でPTSDレベルになるケースがあるそうです。こちらも同じように発達障害が絡んでいるケースが多く、事実私はそうです。犬嫌いについて詳しいソウス

かくいう私も、小さいときは風船恐怖症でした。ところがふとしたきっかけで反転し、今では風船の割れる音は完全に慣れるどころか、風船に完全になじみ、その風船で多くの人に夢と感動と希望を与え、幸せと美しさと華やかさと楽しさを伝える側になっています。

一方、風船が一部で「セレブグッズ化」している傾向もみられます。昨年2017年の流行語は「インスタ映え」でしたが、風船はインスタ映えするトップクラスのアイテムです。しかし、風船が「特別なもの」になり、身近に感じることができなくなりつつあるような気がしています。

そこで、私は考えました。

ふうせんまつりを平成が終わるまでにする

場所…広島市内のレンタルスペースもしくはギャラリー

内容…以下のものを考えています。

1:エントランスのバルーン装飾

2:風船のキャノピー+会場全体の装飾

3:風船の壁画

4:風船プール

5:フォトバック(風船のスカートと帽子も用意、子どもさんは試着できる)

6:バルーンドレス展示(できれば試着も)

7:夢を書き込んだ風船で壁画制作

8:バルーン体験教室&「ふうせんへのおもい」講演会

9:バルーングラフィック展示(もちろん展示スペースは床と天井にバルーンをふんだんに飾る)

10:会場全体を包み込むバルーンシャワー(スパークバルーンを多用、合計1000個程度降らせたい、もちろん紙吹雪入り)

この10種類を一度に開催します。

期間…平成31年(2019年)3月下旬or4月下旬(3月30・31の両日もしくは4月27~30のうち連続する2日)直前2日間は制作現場をライブ公開します。

出来れば、クラフト・ハンドメイド作品及びパン・クッキーなど手作り各種菓子類などの販売、さらに子ども向けミニコンサートも行いたいです。

予算としては材料費だけでおおむね10万以内(原価ベース)を考えています。

以上が私が考えている「ふうせんまつり」です。

これからまる1年かけて準備をし、来年2019年の1月には具体的に動き出したいと思います。

Happy!Happy!Happy!

Happy!Happy!Happy!

Happy!Happy!Happy!

Happy!Happy!Happy!

私は、風船が持つ美しさ、楽しさ、華やかさといったものにひかれ、そしてくす玉がはじけ、無数の風船と紙吹雪が舞う瞬間にあこがれ、バルーンの世界に入りました。そして創り上げた感動は数知れず、一度引退してもなお求められ、その結果再び風船に生命を吹き込み続けることができているのです。

その風船があったからこそ、今こうして私は生きていられるのです。

この「ふうせんまつり」は、その風船たちに感謝の気持ちを込めて、実現させたいと考えています。なぜなら、

風船のおかげで私は自分の人生を歩むことができたから

です。

 

お金の使い方…

2018年が幕を開けました。

今年もよろしくお願いします。

旧Y’s Dream時代は、1999年→2000年のミレニアムに始まり、廃業する2013年まで、常に日本のどこかで私が生命を吹き込んだ風船たちが、新しい1年を迎えるために舞い降りたり、はじけたりしていました。

2004→2005、スキー場で迎えたカウントダウン。

2010年→2011年、大阪の某クラブで行われたカウントダウン。

私が制作し宅配した、スパークバルーンが新年とともにはじけました。

※今はこのタイプのスパークバルーンを制作して送ろうとすると、宅急便サイズの規定を超えるため、送料が高くついてしまいます。

昔話はこのくらいにとどめて、本題。

新年に入ってから、私はいろいろな金の使い方をしました。

船でしか行けない離島にわたり、人口より猫の方が多い島で、1500円の魚定食を食べたり、(魚定食¥1500+船賃¥1850+青春18きっぷ1日分¥2500)

世界で活躍する音楽家たちが広島に集まって開催されるクラシックコンサートで風船と紙吹雪のシャワーを浴びたり、(コンサートチケット¥2000)

くす玉がはじけるようなイメージの香りを作りたくなってルームフレグランスを2本も買ったり、(ルームフレグランス2本¥3880)

という具合です。

このうち、魚定食と船旅はともかくとして、残りの二つについて思うところがあります。

まず、クラシックコンサート。

このクラシックコンサート、宣伝チラシに「500個の風船と金銀の紙吹雪が舞う」というくだりがありました。「どんなものなのか」とても気になっていましたが、クラシックコンサートの敷居は高く、なかなかいけません。しかし、前売り券がセブンイレブンで¥2000で買えるというのを見て、私は前日(すなわち島に渡った日)に船着き場のほど近くにあるセブンイレブンで購入しました。

そして、今日行ってみたのですが…

なんとコンサートマスターが「上に風船の仕掛けがある」ようなことをコンサートの途中でばらしてしまったのです。

いったいどこに仕掛けがあるのだろうか、と思っていたら、あっさり種ばらししていました。

それはさておき、私はいつもと反対の立場、すなわちお金を払っているお客さんとしてバルーンシャワーを体験することになりました。

通常はスパークバルーンの仕掛けを操作する側として、感動の瞬間を創り上げます。

先日アップした、私が手掛けたスパークバルーンがはじける瞬間ばかりの動画ですが、この動画にある作品、というか感動の瞬間を実際に創り上げるときは、いつも心臓がどきどきものです。

そして、成功した瞬間、その場に居合わせた人たちから地響きのような歓声が沸きあがります。

このとき、私は「たとえようもない、天にも舞い上がるような達成感」を味わいます。

この動画は40回、その瞬間だけを集めたものですが、40回すべての瞬間でそれを味わいました。こうして記録に残して、改めて見返してみてもその時の記憶がよみがえりますし、自分自身「すごいことをやっている」という気持ちになります。元気がないときもこれを見て自分自身を奮い立たせています。

ところが、その瞬間、自分自身は風船シャワーも紙吹雪も浴びていません。仮に真下にいた場合は、すぐにはけます。

この動画に限らず、私が演出を手掛ける際は、私は真下にはいないのが基本です。プロとしてやってきて、自分の手掛けた作品で真下で浴びることは基本ありません。

今日は反対に、はけるどころか近寄って紙吹雪のシャワーを浴びました。JBAN Conventionのファイナルパーティー等で紙吹雪と風船まみれになったことは何度もありますが、やはり気持ちいいです…

先日自分たちで手掛けたバルーンシャワーもそうでしたが、客観的に見て体験する機会もやはり必要だと感じました。

そして、今回一番高い買い物になったルームフレグランスについてです。

商品の詳細はこちらをご覧ください

今回私は、「Amber Flower」と「Green Citrus」を入手したのですが、「Amber Flower」にはふわりとした風船の華やかさに通じるものがあり、「Green Citrus」にはくす玉のようにはじける勢いを感じました。

最初この二つを混ぜてみようと思いましたが、混ぜるよりそれぞれ別々に香らせて、その香りの配合で表現した方がいい感じになりました。

で、なぜこれを買おうか、という気になったのかですが、かつて旧Y’s Dreamには、「造花の花びら入りくす玉バルーン」という商品がありました。これは造花の花びらにアロマオイルをしみこませ、それを乾燥させた後に風船とともにスパークバルーンのなかに入れて、はじけると同時に香りが広がる、というものでした。

その際、いろいろなフレグランスを試してみたのですが、なかなか理想の香りにめぐりあえませんでした。

ところが、この二つの香りをかいだとき、私の中で何かがはじけたような気がしたのです。

「これが私の探し求めていた香りだ…」

これを見つけたのは地元にある小さな雑貨屋さん。

この雑貨屋さんの店長さんと私が非常に仲が良いのです。

これに出会ったのが昨年(2017年)のクリスマスのころ。正月は両親とともに家にこもるつもりだったので、正月明けに購入することにしました。

そして、正月明け最初にこの雑貨屋さんでこの2つを買い求めた時、その店長さんが思わず

「やったー!」

とつぶやきました。

この店長さん、私のバルーン演出にあこがれ、私が出している小冊子「くまさんのげんきだま」に元気をもらい、そして私が制作したバルーングラフィック作品集「ふうせんでつたえたいおもい」に感動されています。

私がこれを購入したことで、この店長さんのくす玉がはじけたのでしょう。その時の最高の笑顔はとても印象的でした。店長さんの想いが私に通じたことが、「やったー!」というつぶやきにつながり、そして店長さんの心の中でくす玉がはじけたに違いありません。

私はこの香りによって、自分の中で常にくす玉を持ち続けることができ、ある時は慰められ、ある時は元気づけられるような気がします。

すでにこの文章を打ち込んでいる傍らで、その香りがほのかに漂っています。

私はこれから、多くの人にくす玉の種をまき、それを花開かせる手助けをしていきます。同時に求められれば、自ら感動の瞬間を創りだします。これまで無数の風船に生命を吹き込み、無数のくす玉を創り、花開かせ、はじけさせ、感動の瞬間を生み出した私。その経験を生かし、伝え、多くの人に夢と感動と希望と元気を与えるべく、日々生きていくために、この理想としていた香りに出会えたことは大きな力になります。

私は旧Y’s Dream時代から一貫して、風船を売る際、「ただ風船を売る」のではなく、その向こうにある笑顔を創るという気持ちで制作し、販売してきました。この雑貨屋さんの店長も、ただ香水を売るのではなく、その向こうにある感動を生みだす力となったことに対して、心の中のくす玉がはじけ、「やったー!」という言葉が出たのでしょう。

売り手のくす玉をはじけさせる手助けをしたことによって、買い手のくす玉がはじけた…

この上ない幸せな買い物になりました。

くす玉のような存在であり続けたい…

くす玉のような存在であり続けたい…

話を元に戻すと、

感動を得るには少なくてもお金は必要

しかし、そのお金は大金である必要はない。

ということになり、これが今回の結論です。

旧Y’s Dream時代、私はキャバクラや高級クラブにも出入りしていた時期があります。当然お金がかかります。1回あたり高いと2万近い出費です。当然儲かっていた時期でないとこのようなことができませんが、儲かっていた時期=ストレスが強くかかっていた時期で、今振り返ると金銭の出入りが非常に激しい時期でした。何しろ最盛期の売り上げは…消費税を払う必要があるほどだったでしたから。さらに私が出入りしてたキャバクラなどからも仕事をいただいていましたが、夜間の仕事も多く、激務に拍車をかけていました。

その後鬱で倒れ、金銭面的に一気に苦しくなりました。一時期はお金を使うことに罪悪感さえ覚える時期もありました。さらに…

私の両親及び親族、とりわけ母親の一族は「お金を貯める」ことに執念深かったような印象がします。ですから無駄遣いどころか、必要な出費まで惜しむ傾向がありました。さらに「借金=悪」という考えが一貫していましたので、バルーン業界をカルト宗教呼ばわりしたりすることができたのでしょう。結果どうなったか…ストレスばかり溜まって胃潰瘍を起こし、それが引き金で孤独死したりするのです。

 

今回かかった総額は1万円余り。

新幹線だと、広島駅基準で東京へも鹿児島へも片道早期購入割引運賃に満たない金額です。「こだま」割引切符利用で大阪へやっと往復できる金額です。

1万円だけで、普段行くことのできない離島で新鮮な魚をたらふく召し上がれ、絶景に接し、好きなだけ猫と戯れることができる非日常体験ができ、自分の気持ちを高ぶらせ、華やかな気持ちにさせてくれるすーむフレグランスセットを購入でき、加えて世界で活躍する本格的なクラシックオーケストラコンサートが風船と紙吹雪のシャワー付きで楽しめたのです。非日常体験3つを楽しんで1万円強…改めて

感動を得るには少なくてもお金は必要

しかし、そのお金は大金である必要はない。

ということです。

ふうせんで伝えたい想いとは…

こんにちは。

今日はクリスマスイブです。

2017年もあと1週間です。

本当に今年は、たくさんの風船に生命を吹き込むことができました。

これまでに出会った人たちからいろいろなご縁が広がり、たくさんの幸せと感動をもたらすことができました。

2017年の作品たち

2017年の作品たち

どれも今年を代表する作品たちなのですが、選ぶのに苦労しました…

そして、今年は様々なチャレンジもしました。

今まで作ったことのないスタイルの作品を複数制作し、作品の幅を広げました。

私は2013年に一度引退しました。しかし、縁あって復帰することができました。その間にバルーンアートの技術は大きく進化し、バルーンの市場も大きく変化しました。かつて私が主力としていたブライダル及びイベントの演出が停滞気味になる一方で、ホームパーティーなど新たな市場が急成長しました。

技術的にも様々な作品が増え、多様な作品を生み出せるようになり、一方では今年2017年の流行語大賞にもなった「インスタ映え」。インスタグラムの急速な普及は、新たなバルーン市場を生み出しました。

そのようなバルーン市場の変化を、ここ数年客観的に見てきた私は、新たなスタイルの作品作りにチャレンジして、多くの感動を生みだすことができました。

一方、ツイストバルーンの技術はそれ以上に進化を遂げ、私はすでについていけない状態になっています。持って生まれたものに左右されている今のバルーン業界の現状、努力と熱意だけでは限界が見えています。

そのような状況の中、私ができることは

風船で私が今までやってきたこと、そしてこれからしたいことを明確に打ち出す

ことです。

今年、私は

「くす玉のような存在になりたい」

という、これからの人生の明確な指針を立てることができました。

私ははじけるくす玉にあこがれてバルーンアーティストになり、あまたの感動の瞬間を生み出してきました。そうして20年以上の歳月が流れ、生みだした感動の瞬間は数知れず。

気が付くと、自分の作品だけで、何枚もの絵を創り出せるまでになっていました。

そして、その絵、すなわちバルーングラフィックを見た人たちから

元気が湧いてきた

温かい気持ちになった

という声が続出しました。

Happy!Happy!Happy!

Happy!Happy!Happy!

Happy!Happy!Happy!

Happy!Happy!Happy!

一部イラスト素材集からダウンロードしてきた画像も入れていますが、風船に関しては100%すべて私が生命を吹き込み、自ら作り出した感動の瞬間で構成されています。他人の作品は一切含んでいません。それらをフォトショップで加工し、1枚の絵として作るのがバルーングラフィックです。

正直言って、私はこのバルーングラフィックを制作しているとき、とてもハッピーな気持ちになって、テンションマックスになります。それこそ「くす玉が次から次へとはじける」ような気持ちになっています。

風船を膨らませているときも、そのような気持ちになることがあります。

そのような気持ちで制作しているからこそ、多くの人たちの心に響くのでしょう。

これからも、その気持ちを持ち続けることができるようになりたいです。

そして、たくさんの人の心の中で、くす玉がはじける存在になりたいです。

無数の笑顔の華が花開くとき

今日(2017年12月9日)の午後のこと。とあるイベントを見に行きました。

会場はいつもお世話になっている某自動車販売店のイベントスペース。天井が高く明るい場所で、ここで私は2度スパークバルーンシャワーを行ったことがあります。

ここでバルーンシャワー(チラシには「バルーンリリース」とあったが、厳密には天井から風船を降らせるのは「バルーンシャワー」ですよ…という揚げ足取りはともかく)がある、ということで、私の知り合いが多数参加されている、ということもあり、バルーンシャワーの時間に合わせて、お客様としていかせていただいたのですが…

感動しました!!!!!

別のプロのバルーンデコレーターが入っているのではなく、主催者の皆さんが試行錯誤して創り出したものでした。

その場にいる人たち皆さんを感動させようと、様々な工夫を凝らしていました。

イメージからしてEテレの有名長寿番組を再現しようとしていたようですが、感動の瞬間を生み出すために一つになっていた姿が印象的でした。主催者の皆さんは全員が音楽隊みたいな格好に仮装し、様々な楽器を鳴らしながら会場全体を練り歩き、最後は今そのEテレの有名長寿番組で使用されている楽曲に合わせて踊ったのですが、そのクライマックスで風船が降ってきたのです。

布を自分たちで制作し、入れれるだけ風船と紙吹雪を入れたのですが、これをタイミングとともにこの会場に勤務しているスタッフの方が仕掛けをひっくり返し降らせたものでした。

その時の様子を私も見ていたのですが、

無数の笑顔の華が一斉に花開いたのです!

みんなの想いが無数の笑顔の華となったのです!

仕掛けを操作したスタッフの方に聞くと

「あなたの気持ちがよくわかりました。

成功して最高でした!!!」

無数の風船と紙吹雪が舞い降りたときに花開いた無数の笑顔の華、そしてその感動を生み出そうとしてひとつになったスタッフの姿、最高でした。
そして、いつまでも風船や紙吹雪たちとたわむれる子どもたちの最高の笑顔に、私も元気と感動をいただきました。

同時に私は思いました。

「私が長年やってきたことが、どれだけ素晴らしいことだったのか…」

私は長年、バルーンシャワー・バルーンリリース・スパークバルーンと、数多くの感動の瞬間を創りだしてきました。そして今でも、これを生業にしています。他にも仕事はありますので、これがすべてではないのですが…今は。

元をたどれば、「くす玉がはじける瞬間」に感動し、旧Y’s Dreamを立ち上げて自らの手でその瞬間を創りだすようになり、さらには「一人でも多くの人に感動を味わっていただきたい」という想いから、2000年にいち早く「くす玉バルーン」の全国宅配を手掛けるようになりました。

旧Y’s Dreamは全国に数多くの「くす玉バルーン」を届け、様々な感動の瞬間を創りだしてきたのですが、2012年に長年の無理がたたって鬱を発症し、リカバリの際にいわゆる「アスペルガー症候群」があることが分かり、加えて母親も精神疾患を発症、折からのヘリウムガス払底もあって、2013年に営業を終了しました。

ところが縁あって再開し、今に至っています。

2015年に少しずつ再開してからも、旧Y’s Dream時代から付き合いのある某結婚式場をはじめ、いろいろなところで感動の瞬間を創り上げてきたのですが、客観的に自分が創り上げた感動の瞬間に接する機会はなかなかありませんでした。

その一方、私はバルーン業界の変化や競争激化を目の当たりにしてきました。

そこで私は、今年(2017年)の秋ごろから、「くす玉バルーン体験」「バルーン演出体験」に力を入れるようになりました。

くす玉のひもを引っ張る気持ち良さ

上記でリンクを貼らせていただいた記事に、このことに関する内容は詳しく述べさせていただいているのですが、要約すると

私が長年創り上げてきた感動の瞬間を生み出すという経験自体が一つの大きな財産で、その経験から伝えられることは計り知れない

ということなのです。

で、今回のバルーンシャワー。

別のスタッフ曰く

「プロにはかなわない…」

しかし、私はこう思いました。

「表面的な感想はプロにはかなわないと思っても仕方がない。でも、自分たちでそれに近いものを創り上げようとした。その結果、とてつもない感動を生みだせたのではないか」

私は今回、私が創り上げてきた演出を自分たちで再現しようとした姿に、大変感動したのです。生み出された感動は、私が創り上げてきた幾多の感動の瞬間よりも大きかったですし、それよりなにより、感動を生みだすプロともいうべき自分自身が大変感動したのです。

そういう経験を積み上げてきた私だからこそ、伝えられることがある、と改めて思いました。

風船と紙吹雪にいつまでも戯れる子どもたちの姿を見て、私はつくづくそう思いました。

舞い降りる風船たち

次のステージへ

こんばんは。

昨年2016年は「三部作」でした。

 

 10年分の想いを乗せて舞い上がる

エントランス

想いがカタチになり、そしてはじける

写真は「三次蔵プロジェクト2016」と「夢FESTA2016」ですが、残りの一つが「ママフェスタ2016」でした。

この「ママフェスタ2016」は「夢FESTA2016」のエッセンスを詰め込んで一般に披露しながら、バルーンの装飾・演出・販売を実施するというコンセプトだったのですが、これが新たなステップになりました。

結果は1日の売り上げではかなりの規模に及び、大反響を呼びました。

この「ママフェスタ2016」の成果が、今年2017年、大きなチャンスを引き寄せることになりました。

サプライズの風船が…

はじけた!

上から見た様子

 

上からママズフェスタ(2017年5月)→わーくしょっぷフェスティバル(2017年10月)→ClipHiroshima一周年祭(2017年10月)

バルーンの仕事の幅も、演出のバリエーションも大きく広がったのです。

地域づくりのイベントの弊社ブース

 

これらのイベントに関連して手がけた作品たち

夢FESTA2017(自社制作イベント)

ママフェスタ2017

今年のママフェスタは、昨年私たちの成功を見た各社が軒並みバルーン配布の強化に動きました。プロのバルーンデコレーターをゲストとして呼んだブースも複数。フォロワー続出という昨年とは打って変わっての悪条件の中、厳しい状況も覚悟しましたが、結果は昨年比90%強。最小限の減少にとどまりました。

昨年と大きく異なったのは、売り上げに占めるワークショップの割合。

今年は、昨年微々たる比率だったワークショップが、売り上げの7割近くを占めるという状況になったのです。

私が実施したワークショップ…それは

「くす玉バルーン(スパークバルーン)制作体験」

でした。

大きな風船の中に小さな風船を入れる、いわゆる「くす玉バルーン」制作は、これまでプロの仕事でした。

このプロの仕事を体験できるという、今はやりの「コト消費」。

同時に私は、「大きな風船を花開かせる快感」を味わっていただくことによって、感動を生みだすということがどれだけ素晴らしい経験になるか、ということを実感していただく機会を生み出すことができたのです。

それもこれも、昨年(2016年)の「三部作」が始まりだったのです。

さらにこれらの序曲は、

2015年、一昨年の「夢FESTA2015」にあります。

さらにいえば、「くす玉バルーン」を2000年早春に宅配可能アイテムとして世に送り出し、多くのスパークバルーンをはじけさせ、あまたの感動の瞬間を生み出すと同時に、その感動の瞬間によってもたらされる力の大きさに惹きつけられ、2013年に一度引退してもなお多くの感動の瞬間を生み出すことができているという事実。

今、バルーンアートといえば、260や350といったツイストバルーンで何らかの形をつくるのが主流になっています。もちろん私も基本的な編み込みはできます(というか日常的にやっている)し、過去にはバルーンドレスを制作してみたこともあります。

バルーンドレス

しかし、私は丸い風船やハートの風船、ジオブラッサム(ドーナツ)といった風船たちの方が好きで、それらをベースにクイックリンクなどを活用して作品を形作るのが主流です。というのも、私はおそらく、日本国内のバルーンアーティスト・バルーンデコレーターの中でもワーストクラスではないかと思うくらい、手先が不器用なのです。

このドレスにしても見栄えはいいですが、よく見るとガタガタです。

ましてやほかのバルーンデコレーターと異なり、そっくりに作るようなことはできません。何回練習しても…うまくできませんでした。

しかし、風船が好き、という想いでは、日本国内のだれよりも負けないくらいの想いを抱いています。それゆえに創り出せた感動の瞬間たち…その想いは、生まれながらの自閉症や発達障害も、母親の家系に先祖代々から続く負の連鎖も、乗り越えることができるほどの強さだったのです。

来年以降、私は

この経験と想いを次の世代に伝えていく

ことを中心としてバルーンの活動に取り組むことにしました。

「くす玉のような存在になりたい」…

くす玉がはじけるときに広がる風船や紙吹雪、同時にはじけて広がるのが無数の笑顔の華です。私が生み出す作品たちによって、無数の笑顔の華がはじけて広がる…そういう作品作りをしていきたいし、そういう活動をしていきたいです。

 

 

 

 

 

 

華開け!たくさんの笑顔よ!

こんにちは。

今はトップシーズン。イベントも婚礼も大変多いです。

毎週のように風船に生命を吹き込み、たくさんの笑顔の華が咲いています。

一方で「どのようにすれば低い予算で最大限の感動を生みだせるか」「どのようにすれば安全にできるか」など、考えることは山ほどあります。屋外のイベント演出、とりわけバルーンリリースとかになると、天気の心配も出てきます。雨は言うまでもありませんが、怖いのは強風。風向きと強さの関係によっては安全上、雨が降ってなくても見合わせなければいけないケースがあったりします。

旧Y’s Dream時代、雨や暴風で泣く泣くバルーンリリースをあきらめた人たちを数多く見てきました。そのような悲しい思いをさせる人たちを少しでも減らすため、大手民間気象会社の会員になったりもしました(詳細なデータが手に入るので)。

そのほかにも、イベントに対する想い、イベントで表現したい想いなど、私は数多くの想いを踏まえて一つ一つの作品を創り上げます。今でもそうですが、ドレスの色と風船の色を合わせることもします。

そうやって一つ一つ積み重ね、風船たちに生命を吹き込んだ結果、生みだされるのが

いつまでも心に残る感動

なのです。

そうして多くの笑顔を花開かせることができるのです。

一度引退したにもかかわらず、こうして多くの笑顔を花開かせることができることに私は感謝しているとともに、

本当の意味での天職である

とも思っています。

華ひらけ、たくさんの笑顔よ!

華ひらけ、たくさんの笑顔よ!

先月からの作品たちで構成されたグラフィックですが、それぞれの作品たち一つ一つに想いをこめて制作しています。そして、ところどころにちりばめているのが、スマイルのバルーン。

旧Y’s Dreamが活動開始した1997年以降、ずっと貫かれている想い…

Balloons Make Everyone Happy!

その想いが現れているのが、このスマイルちゃんたちです。そして、作品たちに接した人たちが自然と笑顔になり、幸せな気持ちになれるのです。

同時に

私の心の中で、華開いた笑顔の花の分だけ、くす玉が花開くのです。

私は「イリュージョニスト」なのかもしれない

こんばんは。

今現在進行形で、私は無数の風船たちに生命を吹き込んでいます。

そして、今日は休みだった(2017年11月7日)のですが、

とあるところで、

またしても私の中のくす玉が、それも大きくはじけました!

とあるカフェに、私の作品集

「くまさんのげんきだま」

「ふうせんでつたえたいおもい」

を置かせていただいているのですが、それをご覧になられた方が、感激のあまり涙を流したのです。

私はただ単に「風船を膨らませてきた」わけではありません。

その風船一つ一つに「いのち(=生命)」を吹き込む気持ちで風船を膨らませてきました。

これは2015年10月19日の記事を編集して、「ふうせんでつたえたいおもい」に掲載したものですが、これを読んだときに感動のあまり涙が出たそうです。

こんな素晴らしい思いで風船に接しているなんて…だからこそ、人の心に響く作品たちができるのだ…

と思ったそうです。

常々「くす玉のような存在になりたい」という想いを抱いて生きている私ですが、その先にあるものは、私が生命を吹き込んだ風船たちによってもたらされる驚き、そして感動、さらにいつまでも心に残る幸せな気持ちなのです。

私が生命を吹き込んだ「くす玉バルーン」がはじけると同様、

私がくす玉のごとくはじけることによって、

周りの人たちも大輪の笑顔の花を咲かせることができるのです。

その無数の大輪の笑顔の花を咲かせる私って…

イリュージョニスト

なのかな…と思い始めました。

イリュージョニスト…魔術師、手品師、魔法使い、という意味です。

魔法使い、というと、あまりいい印象を私はこれまでいだいていませんでしたが、みんなの心の中の華を咲かせるということは、ある意味ものすごいパワーとエネルギーがいることです。そのパワーとエネルギーが私にはある、ということなのでしょう。

そして、くす玉がはじけるときのパワーとエネルギーによって、みんなの心の大輪の華が大きく開き、いつまでも忘れられない感動を残すことができるのでしょう。

その力が私にはある…

かつての私からは考えられません。

だからこそ、何千何万もの風船たちに生命を吹き込むのも、苦に思わないのでしょう。それどころか、わくわくしながら膨らませています。この風船たちがどれだけの笑顔の花を咲かせることができるかと思いながら…

笑顔を生み出すイリュージョニスト

笑顔を生み出すイリュージョニスト

2700個の風船たちがもたらすもの

こんばんは。

柱に巻きつけた風船、全部で約1100個(1セットあたり約275個)

バルーンドール、2つで合計約150個

エントランス

ベースのアーチ…1対で約170個(1つあたり約80個)

巻きつけた風船…1対で約400個(1つあたり約200個)

スパークバルーンシャワー…1個あたり約210個入り、合計約420個

このイベントの装飾と演出だけで、総数約2240個!

これが2017年11月3日に行われた、とあるイベントを彩った風船たちです。

この他にも細長い風船(ツイストバルーン)などで様々な作品をその場で制作したりしたので、その風船たちも入れると、

合計約2350個近くの風船に私は生命を吹き込んだ

ことになります…

次の日、2017年11月4日、私はこのような演出を手がけました。

天使の羽入り、約350個のスパークバルーンシャワー!

つまるところ、私は2日間で

約2700個の風船たちに生命を吹き込んだことになるのです!!!!

過去にはこのようなこともありました…→2010年10月のこと

この2010年10月は、旧Y’s Dreamの10年以上の歴史の中でも、最も多くの風船を膨らませた1か月だったのですが、これに匹敵する量の風船に私は生命を吹き込んだ、ということになるのです…

その風船たち一つ一つが、その風船たちに接した一人一人の心に残る感動をもたらす…

旧Y’s Dream時代、私はこのようなことを肝に銘じていました。

数えるべきは金ではなく、膨らませた風船の数である

膨らませた風船の数だけ感動が生まれ、多くの人の心に夢、希望、元気といったものをもたらすことができるのです。

私はとにかく風船が好き、という想いだけで、ここまで突っ走ってきました。

力尽きて、一度は引退しました。

それでもなお、これだけの風船たちに生命を吹き込むことができるとは

いかにすごいことなのか…

そして、私が一番愛しているといっても過言ではない、

くす玉バルーンシリーズ…(スパークバルーンシャワー、バルーンクラッカー等)

これだけの感動を生みだすことができるのは、

本当に好きなことを見つけ出し、それを社会に役立てようとして、それを極めたからこそできることなのかもしれない…

くす玉バルーンがはじけるのは、ほんの一瞬

しかし、その瞬間があまたの人に感動を残し、夢、希望、元気といったものをもたらすことができる…

その瞬間のために、私が費やす時間、流す汗、そして涙…

全てがうまくいった時、その場にいた人たちは、感動のあまり、どよめく。

そのどよめきが私に伝わった時、私はとてつもない達成感と快感を味わう。

その一瞬だけのために、私は何日も、何時間も、風船に生命を吹き込む。

くす玉がはじける瞬間に恋をして、自らその瞬間を生み出すようになり、その瞬間にもたらされる多くの感動が伝わった時、私は体中を突き抜ける快感を味わう。その快感は、たとえようもない。

生まれつきコミュニケーションがとりづらいという一種の発達障害、その障がいがあってもなお、これだけのものを生み出せるという事実…

だからこそ、私一人で2700個もの風船に生命を吹き込むことができるのかもしれない。

その2700個もの風船たちが語るものは何か…それに接する人一人一人に、夢、希望、元気、そして感動といったものが伝わっている。

好き、という力がどれだけ偉大なものなのか…

私は「勝負師」なのか!?

こんばんは。

この記事を書いているのは2017年10月25日。

昨日10月24日は、広島にとって大変悲しい夜になりました…広島が生んだ誇り高きプロ野球球団、広島東洋カープが日本に12あるプロ野球球団で3球団目の屈辱を味わった日でした…あまりの悲しさに、私はその夜、ショパンのピアノ協奏曲第2番第3楽章をずっと流しまくりました。

複数「やりすぎ」という声が出て、トーンダウンしましたが…

実は私はバルーンにここまでどっぷりつかるようになる20年ほど前、1995年ごろ、ギャンブルにおぼれていました。

とりわけ当時はパチンコにおぼれていました。

パチンコの他にも、住んでいた場所のすぐそばに競馬場があったこともあって、競馬はよくやっていましたし、当時勤務していた会社が競輪場への無料ファンサービスバスを運行していたこともあって、競輪にも手を染めていました。競艇場にも足を運んだことがあります(このとき「返還欠場」のルールが競艇にあることを知った→バルーン演出失敗=「返還欠場」というルールを作ってしまい、結果自分の首を絞める下地になってしまった…もっとも競艇、すなわちボートレースに関してはその奥深さを引退前後に知ることになるのだが)…

で、パチンコにおぼれる理由…どうも最近の研究では脳内麻薬物質といわれる「ドーパミン」が関係しているようだといわれています。

そういう私がパチンコをぴたりとやめることができたのは、バルーンアートに出会ったからなのです。これは紛れもない事実なのです。

バルーンアートに出会った→そちらへの投資を増やしたい→どこかを削らねばならない→当然削るべきはギャンブル、とりわけパチンコへの散財

ということになって、結局パチンコからは足を洗うことができました。

同時に当時溺れかけていた、とある新興宗教からも足を洗うことができました。

ギャンブル(とりわけパチンコ)から足を洗うことは、かなり難しいことらしいです…が、私は風船のおかげで、それができたのです。

ところが、私にはもう一つ問題がありました。これが発達障がいに関わる重大問題なのですが、

「セロトニン」が私は生まれつき足りないようなのです。

加えて両親が受けてきた厳格な教育。私の家系はどちらも武士を先祖に持ち、とりわけ母親の家系は世界有数の厳格な教育が施されていたという島津薩摩藩がルーツ。薩摩藩鶴丸鹿児島城下では「郷中教育」という厳格な教育が長年行われてきたが、その厳格な教育と男尊女卑という薩摩藩独特の制度、それに長男の夭折とその後の三姉妹という特殊な事情が絡み、行き過ぎともとらえられるほど厳格な躾とそれに伴う屈折した人生観が複雑に絡み合い、結果母親は深刻な神経症に苦しみ、私はその余波をもろにかぶることになってしまいました。あまりにもひどい影響が出た結果、私は風船を一度捨てざるを得ないほどの状況になってしまったです。

そういう私の生まれつきの生い立ちが関係して、結果的に

勝負師

としての道を歩むことになったのかもしれません。

スパークバルーンをはじめとしたバルーン演出は、一つ一つが真剣勝負です。

やり直しのきかない、少しでも失敗すると取り返しのつかない「真剣勝負」です。

しかし、その真剣勝負でもたらされるものは

その場に居合わせたすべての人たちにいつまでも心に残る驚きと感動

であり、

その場に接した人たちすべてが例外なく、笑顔と幸せに満ちた大輪の華を咲かせることができる

ということなのです。

私はその場に接した人たちの笑顔と幸せの大輪の華を開かせ、咲かせる魔術師であり、勝負師なのです。

そのほんのわずかな瞬間のために、私は何日も時間をかけ、悩み、苦しみ、汗と涙を流すのです。

一つ一つの風船に私は生命を吹き込む、という表現を私はしていますが、その風船たちがその場に接した人たちに笑顔と幸せの大輪の華を咲かせ、いつまでも忘れることのない感動と思い出を残すことができるのです。

私が生命を吹き込んだ風船たちによって、多くの笑顔と幸せに満ちた大輪の華が開くとき、私はたとえようもない達成感を味わうことができるのです。その達成感は、パチンコでもたらされるドーパミン全開のあの快感とも違います。自分から放たれるドーパミン、それに接した人が放つセロトニン、これらが一つとなってたとえようもない達成感と快感が私の体を突き抜けます。

自分がセロトニン不足という生まれつき抱えている問題を、自ら生み出すドーパミン全開のパワーを風船たちに託すことによって、すべてが結びついてその場に居合わせたすべての人たちにたとえようのない感動をもたらし、同時に自分はたとえようのない達成感と快感をもたらすことができるという、とてつもない幸福感を生み出すことができるのです…その場に居合わせたすべての人たちにとっての、最高かつ至福の瞬間を。

だからこそ、私は

感動の瞬間を生み出す勝負師並びに魔術師

になることができたのかもしれません。しかもその一端は、私が生まれつき抱えている障がいに間違いなく由来しています。

私が一つ一つの風船に生命を吹き込み、それがはじけた時に広がる最高の笑顔、まさにその笑顔は「華」であり、その場に広がったすべての笑顔の華がはじけ、最高の感動となる…その感動を生みだすことができる自分自身が、まさにその風船である「くす玉」の力であり、同時に自らを「くす玉のような存在」にすることができるのである。そういうことをすることが再びできるようになった今の自分は幸せだと思うし、そういうことができる今の環境に感謝しなければいけない、と思っている今日この頃である。

ふうせんたちの先に見えるもの

こんにちは。

テーマは「感謝・笑顔・未来」。

サブテーマは「宇宙」。

地球・星・雲・虹・花…を盛り込みました。

上から見ると、大地から花が開いたように見えて、最高でした!

そしてこのコマ送り。

動画はこちらです。

この一つの大きなバルーンにぎっしり詰まっているのは、約400個近いスマイルとハートの風船。

その場にいる人たちはもちろん、この動画を見るひとりひとりが笑顔になり、感動し、元気をいただくことができる…その想いが通じた時、私の心の中でも大きなくす玉がはじけました!

余談…このスパークバルーン、「太陽」をイメージして、オレンジにしたのですが…クライマックスの演奏曲が「それゆけカープ」…正直困ってしまいました…下の飾りをレッドのバルーンにして広島カープを表現しました。

というわけで、今、私はひたすら風船にみんなの想いを詰め込んでいる日々を過ごしています。

最大の山は次の三連休。

ざっと数えて、スパークバルーンに詰め込む小さな風船だけで合計1000個近くになりそうです!

それだけの風船を膨らませるのは、基本気が遠くなりますが…私はそんなことはありません。

かつての旧Y’s Dream時代には、1か月で約9000個以上の風船に生命を1人で吹き込んだという経験もあります。

風船を膨らませているときは、どんなつらいことも忘れて、夢中になれます。

その向こうに無数の笑顔と、たとえようのない感動、そしてその先にある夢と希望があるのですから。

つらいこともたくさんあります。途中でスパークバルーンをダメにしたり、間違って空に飛ばしてしまったり…

そういうかわいそうな風船たちの分も思いを詰めて、風船一つ一つにみんなの想いを乗せて膨らませ、生命を吹き込みます。