風船・バルーン」カテゴリーアーカイブ

私は「イリュージョニスト」なのかも…

コロナウイルスに負けるな、という想いでこの動画を制作しました。1分間で55発!全部私が2008年から2020年の間に手掛けた作品たちです。

 

こんにちは。

以前も似たような投稿をしました。

私は「イリュージョニスト」なのかもしれない

感動を生み出す手

バルーングラフィックでも、自分を作品の中に取り込んだのは数少ないです。

その中で思うのが、

私はアーティストであると同時に、イリュージョニストである

ということです。

決して「デコレーター」や「芸人」ではありません。「デコレーター」は「装飾士」であり、マーケティング等の計画を立ててそれを形にする人たちのことを指しています。「芸人」は、一種の「役者」であり、「俳優」「女優」「タレント」などと同じくくりになります。

ただし、「アーティスト」も「イリュージョニスト」もですが、これらはすべて「パフォーマー」のくくりには入ります。また、「マジシャン」から派生したのが「イリュージョニスト」とも言えます。勿論「マジシャン」も「パフォーマー」ですし、「アーティスト」の領域に入っている「マジシャン」も多いです。

アーティスト…無から有を創造する人(作曲・作詞などはこのくくりに入るほか、さまざまな分野に当てはまる人がいる)

イリュージョニスト…(大掛かりな)仕掛けを用いて、感動の瞬間を創り上げる(大がかりで豪華なマジックショーを創り上げている人たちのほか、花火師なども当てはまる)

しかし、

私は意識して、アーティストやイリュージョニストになったのではなく、気が付いたらそのようになっていた

のです。

本当に好きなことをとことん極め、好きなことに真正面から向き合い続けた結果、そこには数えきれないほどの笑顔の華が咲き誇っていた

のです。

ただ、これは将来の進路を考えている子どもたちや若者に伝えておきますが、

決して最初からアーティストやイリュージョニストを目指してはいけません。最初は「デコレーター」や「パフォーマー」を目指してください。「デコレーター」や「パフォーマー」はその道に進む際の基礎になります。勿論「デコレーター」や「パフォーマー」として一流になるという選択肢もありますし、そのような形で成功を収めた人もいます。

つらい時こそ笑顔を忘れなかった…新型コロナウイルスで分かったこと

こんにちは。

この数か月、投稿を控えていました。ネガティブな気持ちになることばかりだったからです。こちらでは投稿していましたが…

その間、何を続けていたのか…というと、

過去の作品を毎日インスタグラムにアップしていた

のです。2020年3月1日より90日ほど、本日(2020年5月27日現在)で102投稿、フォロワーはこの間に100人以上増え、500人を越えました。「いいね」の数もほとんどの投稿で最低20、多い投稿では50近くあり、同時アップのフェイスブックも合わせると、100近い「いいね」が集まった投稿もあるほどです。

これはいったい何を意味するのか…

それだけ私が生命を吹き込んだ風船たちによって元気づけられている人がいる

ということです。

この一連の投稿シリーズは2020年5月31日で終了することにしています。

応援してくださった皆様、本当にありがとうございました

元気を出そう…2月24日制作。新型コロナウイルス感染拡大が始まって、危機感を感じ始めていました。

Balloons Make Everyone Happy!…2003~2005年の作品をベースに、3月7日制作。古い作品だけを使ったバルーングラフィック。フィナーレのバルーンドロップの風船を見上げる笑顔の演者の皆さんの達成感は15年以上たった今も色あせません。

笑顔の華を咲かせよう!…2003年から2019年までの幅広い期間に咲かせた笑顔の華たちを集めた作品。私がどれだけ長い間にわたって笑顔の華を華開かせてきたかを物語っています。

頑張ろう、元気を出そう…3月20日制作。元気を出して頑張ろう、という意味で制作しました。

決してあきらめない!…4月18日制作。この時期、とてもつらかった。「それでもあきらめない」という想いを作品にしました。

笑顔を忘れないでね…5月1日制作。絶望感が満ち溢れ始め、それでも「笑顔を忘れないで」という願いから制作しました。

咲き誇る花々…5月3日制作。毎年開催される「ひろしまフラワーフェスティバル」が44回目にして初の中止となり、少しでもフラワーフェスティバルで届けることができる「夢、元気、感動、希望」を表現して制作した作品です。

おめでとうといえるひがくるまでみんながんばろう…5月5日制作。絶望している今こそ元気を出そう、という想いで制作しました。

笑顔の華咲け!…5月13日制作。まだまだ厳しい日々は続くが、それでも元気を出して頑張ろう、という想いから、過去の作品たちを今まで私が華開かせた大きなスパークバルーンたちにコラージュさせることで表現しました。

以上からわかるように、大半の作品が実は、自分を元気づけるために制作したものでした。

これらの作品を、過去の作品とランダムにしてアップしてきましたが、分かったことは

自分が20年以上にわたって好きなことに夢中になって創り上げ続けた結果、華咲かせることができた笑顔の華たちは限りなく無限だった

ということでした。そして、

私が生命を吹き込んだ風船たちによって創り上げられた作品たちが、今回のような苦しい日々を乗り越える糧として多くの人たちを元気づけることができた

という事実でした。

それだけのことができる自分がそこにいたからこそ、これだけのことができるようになったのです。

1年前の今頃、とてつもなく大きなくす玉を華開かせようとしていた自分がいました。ラストスパートの日々でした。その「とてつもなく大きなくす玉」は華開き、無数の笑顔の華が咲き、多くの感動と希望を、無数の風船と紙吹雪と共にもたらすことができました、たくさんの「おめでとう」と「ありがとう」に包まれて…

しばらく「ふうせんまつり」はできないと思います。あるいは、もうしないかもしれません。しかし、昨年の「ふうせんまつり」の準備に明け暮れた日々が、今年は丸々新型コロナウイルスとの闘いの日々になりました。これからも新型コロナウイルスとの闘いは続くでしょうし、一歩間違うと、もっと厳しい状況になるかもしれません。

しかし、夢をかなえたという経験は、生涯色あせることはありません。だからこそ、できることがあると考えます。それは
「夢をかなえるために如何にして生きるか」
ということを若い世代に伝えていくことです。
今後は「夢をかなえたからこそできること」を多くの人に伝えていく活動を主にしていく所存です。とりわけ発達障がいをはじめとした生きにくさに苦しむ子どもたちや若者に、「くす玉のひもを引っ張った時の達成感」を実感していただけるようなプログラムを開発していきたいと思っています。

 

今、自分には何ができるか

世界中が今、新型コロナウイルスによって、大変な危機に瀕しています。このままでは、世界が一変してしまうのでは、と思うほどの勢いです。実際私は、これまでの価値観や世界観が、社会の在り方が根底から変わる、数百年に一度の大変革に至るのでは、とまで思っています。

そのような中、私たち風船屋ができることは本当に限られています。そして、私は

この際だから、一度風船から離れてみよう

とまで思うようになりました。進んで風船から距離を置くなど、旧Y’s Dreamを廃業した2013年とは正反対の状況です。

その一方で、私ができることは、

過去のストックを使って、みんなを少しでも明るい気持ちにさせてあげよう

ということです。そういう想いで、私は過去の作品たちをアップし続けていますが、本当に多くの皆さんに見ていただけて、大変ありがたく思います。私の過去の風船たちの作品を見るだけで、現実に起きているつらいことを少しの間だけでも忘れることができるという声もいただいております。

こうしてみると、いかに私が積み重ねてきたことがすごいことだったのか、そして多くの人の心に感動を与えることができたのか、改めて思わずにはいられません。

だからこそできることがある、と考えています。

それは、

多くの人の中に眠っている「くす玉」を華開かせる手助けをしたり、きっかけづくりをしたりする

ことです。華々しく活躍することだけが、くす玉が華開くということではありません。どんな小さなことでも、自分の力でやり遂げたという達成感を味わっていただきたい、そのことがその人にとってのくす玉を華開かせるということになるのです。そういう手助けをこれからしていきたいのです。

たくさんのくす玉を作って、数えきれないたくさんの風船たちに生命を吹き込んだ結果、数えきれないほどの笑顔の華を咲かせることができ、ついにはとてつもなく大きなくす玉を華開かせることができたからこそ、これからは多くの人の心の中に眠っているたくさんのくす玉を華開かせ、笑顔の華を咲かせていくお手伝いをしていきたいのです。

その人がたとえ障がいがあっても、引きこもりになっていたとしても、周囲の人を笑顔にして、幸せにすることはできるのです。どんな人でも、心の中にくす玉が眠っているはずです。そのくす玉を見つけ出して、華開かせることで、どれだけの笑顔の華が咲くことでしょう…そういう生き方をこれから私はしていきたいと思います。

同時に、自分は嵐が過ぎ去るまでお休みさせていただきますが、状況が改善され次第、再び風船たちに生命を吹き込み、くす玉を華開かせていきます。くす玉を華開かせるために汗水流す姿そのものが、多くの人の心に伝わり、それぞれの心の中にあるくす玉を華開かせ、笑顔の華を咲かせることができるからなのです。

生命を吹き込んだ風船の数だけ、華開かせたくす玉の数だけ

笑顔の華が咲き誇る…

こんにちは。

先日とあるところで開催されたイベント。私は、企画・主催された方の想いに共感し、作品を制作し、バルーン演出も実施しました。

 

私はなぜ、風船に「生命を吹き込み」、「くす玉」を「華開かせる」のか…

そこに華咲く、たくさんの笑顔の華によって、達成感と高揚感と自己肯定感を感じることができる

からなのです。

もともと私は自己否定の塊でした。風船に接するようになってしばらくしてからもそうでした。常に上を目指し、ひたすら走り続けてきました。どこにもない感動を追い求めて…

鬱を患い、自分が発達障害であるとわかって、立ち止まりました。

そして、「やっぱり自分は風船が好きだった」というところから、再び歩み始めました。その結果たどり着いたところが、あの「ふうせんまつり」でした。あれが自分なりの答えでした。

自分の限界まで思いっきりやりたいことを極めたからこそ、見えるものがありました。そして、こう思いました。

次の世代にこの経験と想いを伝えていきたい

それが「くまさんのげんきだま」であり、「かじーのぱんぱかはじけるばんぐみ」なのです。

かつてのように、自己否定、自己犠牲ばかりを繰り返していては、見えなかったことでした。

ではなぜ、私が自己否定、自己犠牲ばかり繰り返していたのか…

親が厳しかった(いわゆる「毒親」に該当するほどだった…特に母親がひどかった、しかし母親を責めることはできない…なぜなら母親もまた被害者だったことが幾度にもわたる鹿児島(=母親の故郷)詣での結果、分かったから)というのが最大の理由ですが…

自分の価値を信じることが、一度壊れるまでできなかった

からです。こうなると「承認欲求」が強くなり、自己犠牲に走ってしまいがちになるのです。

このような子育ては国際的な競争に直面している今の日本の状況から見ても、してはいけません。昭和の時代のように、農村のような共同体の中で生きていける時代においては、「長い物には巻かれろ」的な教育でよかったのでしょう。同質性と調和が求められ、目立つといじめや村八分の対象になるくらいでした。そのような社会では、むしろ「厳しい躾」が求められていたのです…が、今はそういう時代ではなくなってきているのです。そればかりか、そういう「社会」というより「世間」という概念が、国際化と情報化が進み現代、日本の足を引っ張っているとさえ思います。

私は今後、風船で利潤を上げようというような考えにはならないと思いますし、そのような考えで風船に接するような状況になったら、本当に引退しようと考えています。あくまでも

私が風船たちに生命を吹き込み、笑顔の華たちを華開かせる対価として、お金を受け取る

という姿勢でいますし、それを忘れてはいけません。

 

バルーンにおける「ハーモニー」の位置って?

こんにちは。

昨年のことでしたか、ネットラジオ「ゆめのたね」の「かじーのぱんぱかはじけるばんぐみ」とは別に、地元のコミュニティFMの番組に出させていただく機会がありました。そこでお話しさせていただいたのが、

バルーンアートはある意味、スポーツのようなものだ

心、体、頭脳、すべて持てる力を注いで感動を生み出す…私はことあるごとに「流した汗と涙と、自らが生命を膨らませた風船たちの数を数えよ」といっています。感動の瞬間を生み出すために、たくさんの汗と涙を流す…一つ一つの作品が私にとって「真剣勝負」なのです。

スポーツといえば、陸上競技、水泳、野球、サッカー、ラグビー、ゴルフ…チアリーディングもダンスもボウリングもスポーツに数えられます。さらには「Eスポーツ」なるものまで登場しているようです。

そして、「個人競技」と「団体競技」に大きく分かれます。

基本的に個人競技…陸上競技、水泳、ゴルフ、ボウリング、馬術、自転車競技、格闘技(ボクシング・レスリング・柔道・剣道・空手・相撲・K1など、さらには「水上の格闘技」競艇も)etc

基本的に団体競技…サッカー・ラグビー・アメリカンフットボール・チア (チアリーディング・チアダンス)etc

両方の要素があるもの…野球(基本的に団体競技だが、投手など個人競技の要素も多く含まれている)

個人競技が基本の場合でも、「団体戦」があります。駅伝やリレーなどです。

一方、芸術の分野ではどうでしょうか。

まず、美術・工芸といった分野では明らかに「個人競技」がほとんどです。

一方、一概に言えないのが音楽の分野。

合唱や吹奏楽、交響楽は「団体競技」の要素が強いです。その半面、ピアノ演奏などは「個人競技」の要素が強いです。

こうしてみると、バルーンアートはどちらかといえば、「個人競技」に近いでしょう。しかし…「団体競技」になる要素も多分にあるような気がします。いい例がJBAN Conventionなどの大きな大会のスカラプチャー部門です。

私はかなり昔、18年ぐらい前のことですが、「スカラプチャー部門」のコンテストにチームを組んで参加したことがあります。しかし、そこで私はあることに気が付きます。それは

「総合的人間力」がないと難しい

ということでした。「総合的人間力」とはすなわち「人望」です。それが欠けていた私はかなり苦しみました。

「総合的人間力」には、「人と調和する能力」が大きな部分を占めます。調和は英語で言えば、

ハーモニー

です。ハーモニー…音楽の世界では重要なカギです。

音楽の世界では、この「ハーモニー」がとても大切です。なぜなら曲の中には、たくさんの音やメロディーがあり、また音楽を演奏するためには、たくさんの楽器や人が必要だからです。もし、いろいろな音がむちゃくちゃに鳴り出したり、演奏する人たちが自分勝手に演奏しはじめたりしたら、どうなってしまうでしょう?ですから「ハーモニー」は、音楽には絶対に必要なものなのです。大勢の人がいっしょに演奏するオーケストラでは、指揮者がハーモニーの番人です。皆でどんなハーモニーを作るのかを決め、ハーモニーが生まれるのを助け、それがより良いハーモニーになるようにします。

それなら、一人で演奏する時は、ハーモニーは関係ない?.いいえ、とんでもない! 不思議なことに、舞台の上の演奏家がどんなに上手に弾いていても、会場にいる皆さん一人一人の心とハーモニーが作れなければ、つまらない音楽しか生まれてきません。「ハーモニー」は、音の中だけでなく、私たちの心の中にも生まれ、響くものなのです。「ハーモニー」に一番必要なのは、オーケストラの人たちが、いつもおたがいの音をよく聞き、おたがいの「心」に耳をすましているからなのです。(東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」のサイトより引用)

バルーンに携わるものとしても、この「ハーモニー」は非常に重要です。

例えば、ブライダルでのバルーン装飾や演出。全体のテーマに合わせた色の風船を選ぶことが必須ですし、結婚式や披露宴自体が一種の「交響曲」なのです。感動の結婚式や披露宴を創り出すチームは、まさに「オーケストラ」なのです。たとえバルーン演出がシンバルのような存在だとしても、オーケストラの一員であることに変わりはないのです。

ましてや、さまざまなセレモニーにおいて、バルーン演出は大きなウエイトを占めることが多々ありますが、これらも一種の「協奏曲」であり、オーケストラの一員なのです。

これらのオーケストラの指揮を務めるのが「プランナー」や「プロデューサー」なのです。

よって、幅広い分野の勉強が必要になります。だからこそ、「個人競技」であると同時に、「団体競技」の要素もあるのです。同時に、「あらゆるものに心を澄ます」必要があります。

私のお気に入りの瞬間たち

では、同じ「ハーモニー」でも、人と人との調和、という点ではどうでしょうか。この点が「総合的人間力」につながるのです。

正直、これは幼少期が重要なカギを握ります。加えて、ASDなどの発達障害がある場合、幼少期に問題があると、「総合的人間力」が決定的に不足してしまいます。言い換えれば、幼少期の親、とりわけ母親の愛情が、大人になった時に「総合的人間力」の差となって出るのです。

100%相手のことを受け入れることによって相手のことを深く理解できる、という主張もあります。日本においては「自己否定」「自己犠牲」は長年「美徳」とされ、尊重されてきました。しかし、「自己否定」「自己犠牲」を繰り返すとどうなるでしょうか?「完全主義」になり、「強迫性障害」に陥ることが多々あります。私もそうでした。そうなると、「自家撞着」に陥り、精神疾患を引き起こす原因になってしまいます。

「自己否定」「自己犠牲」は「美徳」では決してないのです。

「自己否定」「自己犠牲」こそ「美徳」であり、生き方だと信じて疑わなかった私は、「完全主義者」になってしまい、旧Y’s Dreamを破綻に追い込んでしまいました。そしてすべてを捨ててみて、本当に好きだったものが風船だった…自分で自分のために「おめでとう!」といえるまでに生まれ変わることができたのも、風船のおかげでした。

「自己否定」「自己犠牲」はやめてください。自分で自分を縛り、追い込むだけです。

実際のところ、昭和時代、「自己否定」「自己犠牲」の精神で日本は高度経済成長を遂げることができました。その際、太古の昔から日本の基盤であった「農村」に根付く「ムラ」の価値観が大きな役目を果たしてきました。もともと農業は、農家が孤立して営まれるものではなく、「ムラ」の人びとが団結し、農家ごと順番に作業を行うことで、田植えや稲刈り、それから屋根葺きなどといったかなりの労力が必要な作業をみんなで助け合って行っていたのです。しかしそれが、今の日本の硬直化を招いているのです。いま必要なのは、自分の信念や価値観を一人一人が優先させるという意識です。

「ハーモニー」は重要ですが、一つ間違えると「自己否定」「自己犠牲」になります。無理な調和はいけません。

最後になぜ、今回このようなテーマでの文章を書いたのかについて述べます。とある昭和時代の残滓を厚くまとった「自己否定」「自己犠牲」を是とする「ムラ」的な組織に、私は悩まされていたからです。今でも悩まされていますが、「最後通告」をその組織に突きつけてきました。

 

好きなものは好き!

こんにちは。

風船のどこが人を引き付けるのだろうか…

ここ数日、悩み続けていました。とりわけ、今後バルーンリリースが難しくなるという予想を私はしています。天然ゴム100%のゴム風船は生分解性で、最終的に自然に還ります。特に陸上では落ち葉と同じスピードで有機分解が進み、早い段階で自然に還ります。

しかし、昨年から「特に洋上において、生分解するのに数年程度かかり、その間にクラゲと似た形状になって海洋生物が捕食して、死に至る」という報告が世界各地で相次いでいます。一説によれば、有機分解するだけの微生物がいないほど海が汚れておらず、それ故海洋プラスチックごみと同様になってしまっているようです。このような海域では、いくら生分解するといってもかなりの時間がかかり、結果変形だけが進んでクラゲなどの餌と似た形状になり、海洋生物の捕食につながって環境破壊に至る、ということになります。

実は瀬戸内海などの日本の海では、一部の地域で「貧栄養化」が問題になっています。つまるところ、きれいになりすぎて、漁業に深刻な影響が出ているのです。ノリやアサリの漁獲高が激減しているのはその証拠です。

逆に言えば、海洋環境がきれいになればなるほど、ゴム風船(ラテックス)の有機分解のスピードが落ち、同時に海洋生物へのリスクが増大する、ということになるのです。そうなると、常識が変化する、パラダイムシフトが起きることになります。

これから起きるであろうパラダイムシフトは、明らかにバルーン業界にとっては逆風です。

そのような中で、今一度私は「風船の何が人を惹きつけるのだろうか」と考えています。

 

今年2020年になってから私が生命を吹き込んだ風船たちです。一部を除いて、過去のイベントで使用されずに残った風船たちを活用して制作したものです。そして、これらの作品を制作した理由…

この風船たちに接した人たちの笑顔の華が咲く

からなのです。

私はお金のことだけを考えて風船を膨らませるようなことはしたくありません。かつて私は心身の不調に陥り、長期間休業に追い込まれましたが、最大の原因はお金のことだけを考えて風船と接するようになり、結果鬱の症状が出たからでした。昼夜問わず風船を膨らませ、休みがほとんどなく、お金に追われる日々になっていました。

そして一度離れてみて、やっぱり私は風船が好きだったということが分かりました。

今年初めてバルーングラフィックを制作してみました。今年2020年になってからの作品をふんだんに用いています。

やっぱり好きなものは好きなのです。

令和の時代…風船の常識は変わるのか

こんにちは。

2020年最初の投稿なのですが、かなり厳しい話からしなければなりません。

私は昨年末、「これからバルーンは厳しくなる」とみていました。当初私が予想していた「厳しくなる要素」は、ヘリウムガスの価格高騰と少子高齢化による市場の変化、といったものでした。

しかしながら、それとは全く異なる要素で「これからバルーンが厳しくなる」と私は判断しました。

それは「地球環境の問題」なのですが…ここ最近になって、思いもよらぬ話が世界各地から伝わり始めました。

ウミガメなど海洋生物の生態系にゴム風船が悪影響を及ぼしている

という報告がここ数年、世界的に相次いでいるのです。

過去に風船が地球環境に悪影響を及ぼしているとされ、問題になり、バルーンリリースが一時期廃れました。1990年代前半のことです。これにバルーン業界が危機感を抱き、メーカーはゴム風船を天然ゴム100%化し、「天然ゴム100%のゴム風船は自然分解され、環境に影響を及ぼさない」として、バルーンリリースは復活しました。現実に天然ゴム100%の風船は光分解と熱酸化によって自然に還ります。

ところが、ここ数年、新たな研究結果が報告されたのです。

それは、

天然ゴム100%の風船が海の上で分解されるには、陸上より長い時間がかかり、さらに分解される間に形状がウミガメの餌である鉢クラゲやイカと似たものになり、ウミガメが間違って食べてしまう。さらに小さな破片は体外に排出されるが、クラゲに似た大きな破片はウミガメの体内で消化できず、死んでしまう

というものでした。

ソウス1「プラなし生活」

ソウス2「廃プラで新条例。オーストラリアの「バルーンリリース」禁止」

これがレジ袋をはじめとした、脱プラスチックの流れに乗り、昨年2019年にはアメリカやオーストラリアのそれぞれ一部の州、さらにジブラルタルなどのヨーロッパの一部でバルーンリリースが禁止されるまでになりました。もっとすさまじいところでは、バルーンの販売が全面禁止された地域まで存在するようなのです。

そのようなトピックを、何と世界最大のバルーンメーカー、クオラテックスで知られるパイオニアバルーンカンパニー社が取り上げ、

バルーンリリースを止めて、それに代わる演出を考え出し、バルーンの将来を守ってほしい

という呼びかけをするまでになったのです。

ソウス3「放さないで: クオラテックスバルーンからのお願い」

つい最近まで、バルーンリリースを公認していた世界を代表するメーカーがこのような呼びかけをするまでに至ったこと自体、

パラダイムシフト

が起きつつある、と考えます。

この流れは、近い将来、間違いなく日本にも伝わるとみています。平成から令和に時代が変わり、昭和末期(昭和60年代)から平成初期(平成5年ごろ)、すなわちバブル期の前後の日本を取り上げ、

時代とともに常識も変わる

というようなことを、最近よくテレビなどのメディアで取り上げているのを目にします。タバコ、バイクのヘルメット(1986年義務化)…ほかにもいろいろあります。大部分は科学技術の発展で変わったものが多いのですが、社会の進化と共にかつての常識が今では非常識となったものも数多く見受けられます。

日本国内でもSDGs(Sustinable Development Goals)という新しい価値観が少しずつ広がっています。その中には「作る責任、使う責任」「海の豊かさを守ろう」といったものが含まれています。

ソウス4「Japan SDGs Action Program」

私は今後、

障がい者・高齢者を含むすべての人たちが自分らしく生きていける社会をつくるのにバルーンを役立てたい

という考えを基本にバルーンに取り組むことにしていますが、その中で

子どもたちにどのようにしてバルーンを通した情操教育をしていくのか

という課題に取り組まなければなりません。

海外でバルーンリリースが海洋生態系に悪影響を及ぼしている可能性が取り沙汰され、禁止の方向に向かっているという現実があります。長年、「いつまでも心に残る感動を生み出したい」とバルーン演出に取り組み、無数の風船たちに生命を吹き込んできた私としても、真剣に考える時期が来たと思います。

何しろ、この冬は超が付く暖冬で、晩秋なのか早春なのかわからない日々が続いています。地球温暖化が進行しているのは明らかです。2018年の西日本豪雨、2019年の台風…漁業の世界でも、ここ数年サンマやイカなどのの不漁が深刻化しています。

これからの時代、子どもたちに地球環境に対して正しい認識を持ってもらうためにも、バルーンリリースを今後扱うか、たとえ地球環境に及ぼす影響が微々たるものだとしても、真剣に考える必要が出てきました。

次の投稿では、「なぜバルーン演出に感動するのか」「なぜ風船は多くの人を魅了するのか」ということについて考えてみます。私がなぜ風船が好きになり、風船を愛するようになり、風船を仕事にするまでになったのか…そこから私が歩んできた道のりを振り返り、今後どのようなバルーン演出をしていきたいか、そして風船で一体何が社会に対してできるのか、考えていきたいと思います。

 

たくさんのくす玉を華開かせた2019年…これから

こんにちは。

前の記事で「正直これからバルーンの仕事は厳しくなる」というようなことを述べました。

本当にそうで、バルーンだけで生計を立てることは到底困難だと思いますし、もしバルーンだけで生計を立てていく決心を固めたら、それこそ「学びなおし」「学習放棄」が必要です。そのような時間もお金も余裕もありません。正直バルーンにかける投資は控えたいくらいです。

むしろ、これからの自分ができることは

長年やってきたことを無理なく生かして、若い世代を育てる

ことだと思います。

一方で、長年バルーンアーティストとしてやってきた経験が、福祉の分野で求められているということを、ここ数年実感しています。発達障害があるとされる子どもたちから、認知症予防が求められる高齢者まで、必要とされています。「レクリエーション介護士」という資格を私は2017年に取得しましたが、これでは不十分だと前職で痛感したので、「介護職員初任者研修」を受講し、終了しました。そこでも「勉強が足りない」と痛感していますので、来年2020年は福祉及び介護の分野の勉強および実践に力を入れたいです。

そのため、来年2020年は、バルーンの仕事は少し絞り込もうと考えています。「ふうせんまつり」「バルーンハッピープロジェクト」といった自ら立ち上げたプロジェクトは既に完結しました。これからやりたいことも今は考えられません。大きな仕事は年に多くても3~4回程度にとどめ、できる範囲のことをしっかりとやっていきたいと考えています。

一方で、数は少なくなっても、大きな仕事は最低年に1~2回はやりたいと思います。なぜなら、夢をかなえるために汗を流す姿が多くの人たちを元気づけているのは事実だからです。とりわけ発達障害に苦しむ人たちおよびその親にとって、好きなことで夢をかなえてきたという実績、それ自体が「すごいこと」であり、「くす玉のひもを引っ張るような達成感」を実感することが求められているこれからの時代にたくさんの子どもさんとその親に必要とされているからなのです。

それゆえ「くす玉バルーン制作ワークショップ」は顧客満足度が高いのです。もちろんこれは今後も主力として、継続していきます。さらに、認知症予防のためのバルーン教室、バルーンをふんだんに取り入れた高齢者施設でのレクリエーション、これらを来年2020年以降は充実させたいです。

ご利用案内はこちら

「くまさんのげんきだま」発達障がいのある子どもさんおよび親へのメッセージ

2019年の記事のアップは、これを最後にしますが、2019年の作品たちを1枚のバルーングラフィックというか、今回はただのスクラップブックなのですが、それをアップして終わりにします。それでは皆様、よいお年を。

 

 

たくさんのくす玉を華開かせた2019年…振り返る

こんばんは。

まず、正直言います。

今後、バルーンの活動は厳しいです。

理由はいくつかあります。

まず、ヘリウムガスの問題。ヘリウムガスは来年2020年になると、もっと価格が高騰するとみています。2001年ごろの価格を1とすると、2018年の今頃が1.5でした。2019年の春ごろが1.9で、来年2020年1月以降は2.5になる模様です。ようやく最近になってアメリカにおける先物市場での投機マネーの流入による買い占め行為が主原因と報じられてきました。つい最近まで原因がわからず、単に中国やインドなどでの需要増が原因と報じられてきましたが、需要増だけでは説明がつかない暴騰ぶりに低温科学での実験に影響を及ぼしつつある現状が報道され、液化ヘリウムガスの再生利用に取り組み始める動きが研究機関を中心に出てきています。

液化ヘリウムガスの再生利用によって、工業・医療用の純正ヘリウムガスと科学実験・気象観測及び風船用の再生ヘリウムガスの両方が流通するようになれば状況は変わるとみています。純正ヘリウムガスはさらなる高騰が続き、一方で再生ヘリウムガスは2018年の水準まで価格が下がるとみています。しかしながら再生プラントの整備が遅れています。また、カタールやロシアにプラントを新設する動きがありますが、これが稼働するのは2030年ごろになると私は見ています。その間にヘリウムガスの価格の高騰が止まらなくなる恐れもあります。背景には世界情勢のさらなる不安定化があるからです。

こうなると、バルーンリリースやスパークバルーンシャワーなどといった演出の価格高騰が止まらなくなり、ほかの演出に代替される動きが加速します。すでに今年2019年にその兆候が見られています。

一方、今でこそインスタグラムなどのSNSによってバルーンの需要は旺盛ですが、これもどうなるかわかりません。私は

近いうちに供給過剰になる

とみています。

加えて、これまで主力にしていたブライダルが少子高齢化の流れで市場縮小…私が2004年から16年間にわたって関わってきた結婚式場が来年2020年春に業態転換のため閉業することもあり、婚礼市場においては6月の時点で来年2020年春以降の完全持ち込み制への移行を決断し、規模を縮小することにしています。

他方、かくいう私は今年、さまざまなことに取り組みました。振り返ると…

上半期、早春から初夏にかけては「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし」をとにかく成功させることだけに専念していました。昨年2018年の今頃は、実行委員会結成の準備に追われていました。12月に入ってから、一人一人にお願いして回っていました。そうして1月14日に実行委員会はスタートしたのですが…種々のトラブルに巻き込まれ準備は停滞、仕切り直しが必要な状態となり、一時は「中止せざるを得ない」とまで考えました…しかし、2月17日に再度実行委員会がスタート、日程は当初予定していた4月28日から6月2日へ1か月延期となりました。結果、令和最初の1か月となった今年5月を丸々準備に充てられることになり、余裕を持った準備を進めることができ、大成功につながりました。

一方で、「ふうせんまつり」後の準備も進めていました。「ゆめのたね」というネットラジオのパーソナリティーとして、自らの想いを伝えていくことに決め、4月から3か月間、養成講座に通いました。4月と5月は大阪は門真市にある「ゆめのたね」本部まで通い、「ふうせんまつり」終了後となった6月は映像授業を受けました。ただ大阪へ行くのはもったいないので、4月は「ふうせんまつり」への協力をお願いしに下関のヘリウムガス卸業者(バルーン部門もある)に足を運び、その後豪華カーフェリーの船旅を体験し、5月は「ふうせんまつり」のバルーンの材料を仕入れに日本の二大卸の一つである名古屋の卸業者へ近鉄電車などを使って足を運びました。このような工夫なども重ねながら、「ふうせんまつり」への準備を着々と進めました。

「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし」終了後、6月1か月間はこれまでの活動の棚卸に充てました。故郷の鹿児島にも足を運び、先祖の墓参りから霧島神宮へお礼参りもしてきました。そしてようやく、今後の活動の方向性を見つけ出すことができました。

下半期、まず夏の間は「介護職員初任者研修」に取り組みました。今後、バルーンの活動を福祉と結びつけ、高齢者の認知症予防や障碍者などへの支援、さらに幼児向けの活動といった福祉と密接な分野で強化しようと考えたからです。結果、10月上旬に資格取得ができました。一昨年2017年に取得した「レクリエーション介護士2級」と併用して、今後の方向性を確かなものにするはずでした…が…

10月から11月にかけて、非常に厳しい事態が立て続けに起きました。

先述したヘリウムガス暴騰、地球温暖化が遠因の天候不順とそれに絡む大型ドタキャン続発、さらに近年まれにみる「返還欠場」レベルの演出失敗、そして一時的な精神疾患再発…

「この先いよいよ厳しくなる、もう先は長くない」と痛感しました。

そして12月ですが、「親子でメリクリ」と「レッド☆アイワンマンライブ」という2つの大きな仕事に取り組み、いずれも成功することができました。いずれも「ふうせんまつり」からの流れで取り組みましたが、そこでようやく

夢をかなえたからこそできることが見えてきました。

私は今年2019年、「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし」というイベントを自ら立ち上げ企画し、成功させることができました。夢をかなえることができたのです。夢を曲がりなりにも一度かなえたからこそ、12月の2大イベントを成功させることができたのです。とりわけ「レッド☆アイワンマンライブ」は廿日市という地域に根を張って活動しているシンガーソングライター、レッドアイさんが企画立案し、「ふうせんまつり」よりも長い時間(約1年!)をかけて準備してきたもので、そのバルーン演出・装飾という大きな役を私は担当させていただきました。

「ふうせんまつり」のあの感動のスパークバルーンシャワーの瞬間、会場内では「おめでとう」「ありがとう」という声が至る所で上がっていたそうです。

「おめでとう」…夢をかなえた私に対するお祝い

「ありがとう」…感動を共有できたことに対する感謝

そして、こういう声も上がっていました。

「一つのことが終わると同時に、新しい何かが始まる予感がする」

まさに、「平成の終わり」と「令和の始まり」です。確かに言えることは

私にとっての平成が終わり、令和が始まった

ということです。そもそも「ふうせんまつり」は、平成元年(1989年)と平成2年(1990年)の春に広島市中心部の中の棚商店街というところで行われていたもので、これに私も加わっていました。その後、平成7年(1995年)に今も続く「エミリーズバルーンビジネススクール」がスタートし、平成9年(1997年)にはJBAN(ジャパンバルーンアーティスツネットワーク)が発足、時代の変化に対応しながら今でも続いています。これを平成が終わろうとする今、自らの手でやってみよう、と思ったのが発想のきっかけでした。そしてタイミングを伺いながら昨年、2018年の新春に構想を打ち立て、1年かけて構想を温め、2018年の12月から具体的な行動を始めたのです。

思えば、2000年4月に1か月間かけて取り組んだ由布院の作品展にしても、1997年の秋に「ここでたくさんの風船を飛ばしてみたい」という想いを、現地由布院のとあるカフェでハーブティーを飲みながら由布岳を眺めつつ抱いたのがそもそものきっかけでした。その後も、思い描いたことをどんどん形にして、記憶に残していくことができました。その感動の瞬間たちは、今でも私のかけがえのない財産になると同時に、多くの人たちの心の中に残る思い出となっています。

そうしてかなえてきた夢…

気が付くと、私が開拓してきた道なき道を多くのバルーンデコレーターの皆さんがたどり、発展してきていたのです。とある世界的に活躍していたバルーンデコレーターの方が、2003年ごろにこうおっしゃっていました。

「私たちは道なき道を開拓しているのだ。その道を開拓してまだ10年もたっていない」

私も道なき道を開拓して、一つの市場を創りました。今から7年前、2012年に鬱を発症し、限界を感じ、さらにヘリウムガス払底(当時は今よりひどい「払底」という事態になっていた。今は「価格暴騰」というやはりひどい事態だが、金を出せば手に入るので、当時とは状況が異なる)などの度重なる事態で廃業に追い込まれました。当時は私のみならず、家族全員が精神疾患に陥り、暴力の応酬が起きるなどしていました。2012年から2013年にかけては、「私が風船から身を引けば母親の病気も、家族全体の精神疾患も治る」と私は考え、廃業を決断した経緯があるのです。

ところが、それは間違いでした。本当の原因は母親の中にある「インナーペアレンツ」であり、「アダルトチルドレン」の問題でした。そしてたどっていくと、母親が受けた厳しすぎる躾に原因があり、その厳しすぎる躾の背景には薩摩藩に伝わる「男尊女卑」の風土、ジェンダーの概念が関係していることが分かってきたのです。間違った思想を信じて廃業に至った私ですが、廃業に至った自分を正当化しようとして、私は儒教を学んだりもしました。儒教では「孝」という概念があり、それは「たとえ親に間違いがあっても、子はそれに泣いてでも絶対に従わなければならない」というもので、親の誤謬を受け入れようとしました。今でも私は「親の言うことがたとえ誤りであっても従うのが孝であり、それがすなわち親孝行である」と信じて疑いません。そして、自分らしく生きることが私の場合、「親不孝」となり、「親不孝は万死に値する大罪である」と私はかたくなに信じています…それゆえ、私はもがき苦しんでいるのです…このことは「自家撞着」に他ならないので。

自分自身の夢をかなえることが自家撞着につながるという、ある意味極めて特殊な状況下にある私ですが、価値観が激変し続けている現代においてこれはやむを得ない状況なのかもしれません。何しろ人工知能が人間を超える「シンギュラリティ」が数十年後には迫っているとさえ言われています。そのような状況下では、儒教の教えも通用しなくなり、古い価値観がどんどん覆されつつあります。

だからこそ、夢をかなえることがかけがえのない経験となり、次の世代に伝えることができるのです。

年が明けて、2020年、令和2年が始まってから、次のことは考えましょう。今は思い出から整理をしていきましょう。そうすることによって見えてくることがあります。それは

夢をかなえたからこそできること

です。

キセキのキセキ後日譚…あの「ふうせんまつり」から半年、そして

こんにちは。

あの「ふうせんまつり」の感動から半年がたちました。

途中で「キセキのキセキ」と題した振り返りが止まってしまいましたが、気が付くともう2019年も終わり…半年余りたった今、実感しているのは

私が生命を吹き込んだ風船たちが、人と人を結び付けた

ということです。

「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし」がきっかけとなって、いたるところで新たな人のつながりが生まれたのを実感しています。私が思い描いた夢を自ら叶えるによって、多くの新しいことが始まったような印象がします。

この「ふうせんまつり」は正直言って、ただの作品展にしたくありませんでした。「くす玉」を華開かせるときの達成感、高揚感、爽快感、といったものを基点にして、多くの人に夢と感動と元気をもたらすことができるようなイベントを創り上げていきたい、という想いから始まりました。結果…あのような大成功、大盛況、会場内に「おめでとう」「ありがとう」がたくさん飛び交う感動の瞬間が華開いたのです。

その後、半年余り苦楽を共にした仲間たちは、それぞれの未来に向かって歩んでいます。

一方の私ですが…別の記事でまとめて振り返ります。

ただ一つだけ言えることは、

平成から令和へ時代が移り変わったこの時期に、自らの夢をかなえることができた

ということです。

夢をかなえるラストチャンスをものにできたのかもしれない

のです。

別の記事にまとめますが、正直私は「この先厳しい。いつまでバルーンアーティストでいられるかわからない」と思っています。確かなのは、「今やっておかないと、もう生涯できなかった可能性が高い」ということです。

本当にありがとうございました。