風船・バルーン」カテゴリーアーカイブ

なぜ発達障害があるのに風船を続けるのか?

こんにちは。

先日、本当に久しぶりに「悔しい」現場を経験してしまいました。

当初予定していた場所が「視覚障碍者向けバリアフリー設備(点字ブロック等)」と干渉し、設置不能となり、やむなく場所変更。

スパークバルーンシャワーは2個用意したうち1個は風に流され、もう一つは本番寸前にアクシデントで消える…

アクシデント多発の現場となり、本当に悔しいことこの上ありませんでした。

こうなると、いくら気を付けても出てしまうのが、私が抱えている発達障害の特性…

キャパシティオーバー→パニック発生…悪循環

当然クレーム続発となり、多大な迷惑をかけてしまうことに…

もっとも、今回のイベントプロデューサーは、私の抱えている障がいを理解していた方。このため、「実は…」となり、ほかの関係者も一同納得し、収拾がついたのですが…

「発達障がい者」である現実が壁となってしまい、残念かつ悔しい結果になってしまいました。

しかし、私がそれでも風船を続けていくのには、理由があるのです。

発達障がい、とりわけASDやADHDに苦しむ人たちの希望であり続けたい

ASD(自閉症スペクトラム、いわゆるアスペルガー症候群)やADHDに苦しみ悩む人たちは、周囲の理解のなさから、多大な苦しみを抱えて生きています。そして、人生の選択肢が狭まり、つらい思いをしています。

さらに、発達障がいに対する偏見もいまだに見られます。一番悔しい思いをしたのは、7年前、2012年に私が発達障がいを抱えているという現実をカミングアウトした途端、手のひらを返したように態度を変えて、取引停止をした結婚式場が出たことでした。発達障がいがある、ということを理解して、取引継続を申し出たり、再度取引を申し出た結婚式場もあったのですが…

このような偏見を見返したい、という想いもバルーン活動継続の意思の一つとなりました。ヘリウムガス払底及びその他の諸事情が重なって、2013年に一度引退を余儀なくされるのですが…2016年に現役復帰することができました。今こうして風船に生命を吹き込み続けることができているのも、多くの方に私が抱えているASDという障がいを理解していただき、それを踏まえた上でバルーンアーティストとしての活動ができているからなのです。

だったら、なぜ「障がいのある人を起用するのか」という意見が出てきます。先述の発達障がいを理由に取引を停止した結婚式場もそうですし、今回も一部でそのような声が出たと聞きました。しかし、それを踏まえて共存していくことも必要だという意見が今回もあったようです。

そうなると、私が創る作品たち、感動の瞬間たちの意味が大きくなります。実際、私はごく一部で

天才バルーンアーティスト

と呼ばれているようです。私の作品よりももっと素晴らしいものを制作するバルーンアーティストが数多くいるにもかかわらず、です。突き詰めていくと

風船に対する想い、姿勢がほかのバルーンアーティストにないものがある

ということになるのでしょう。実際私自身、そう思いつつあります。

当初、私は「もっと素晴らしい作品を制作する人はほかにいくらでもいる」と思い、自分の作品に満足していませんでしたし、納得していませんでした。もっと上がいる、と思い、ひたすら自己否定をしていました。そればかりか、納得いかなければ、大幅値引き、代金受け取り辞退といった行為を何度もしていました。かつてのY’s Dreamにはネットショップがありましたが、そこでは

「お客様が満足しなかった場合、代金は支払わなくてよい」

というようなことを標榜していました。お客様を感動させるのが私の仕事であり、それを全うできなかった以上、代金を受け取る資格はない、という考えからでした。結果、未収が多発しましたが、私は「満足も感動もできなかったから、代金を支払わないのだ」と考え、ごく一部の悪質なケースを除き、未収のままとしていました。旧Y’s Dreamの10年以上の間、そのような未収のままとなったものは、合計すると30~40万程度になっていたようです。旧Y’s Dreamの年商が1年で1000万円あるかないかでしたので、10年余りで1億近くの総売り上げと考えると、バルーン演出の結果代金をいただけなくなった「返還欠場」と併せても0.5%にも満たないですが…

「返還欠場」(これは何度も述べているように、ボートレースのフライング等のスタート失敗すなわち「スタート事故」が語源)という言葉を

そのような自己否定の塊であり、引退に一度は追い込まれるまでに至った私が、どうして復活できたのか…

自ら抱えている障がいと真正面から向き合い、そしてそれに伴う生きづらさ、その原因は何か、ということを根本から解明できたことが大きかったのかもしれません…答えを求めて何度も故郷である鹿児島を訪れたりもしました。

同時に、周囲の理解が大きかったことに感謝しなければなりません。とりわけ4年前、2015年に私を拾ってくださったあの会社…結果、あの会社には3年あまりお世話になりました。最後は目指す方向性に大きなずれが生じて退職せざるを得なくなりましたが、そこで多くの人に出会い、さまざまなつながりができ、その中で新たなつながりがたくさん生まれ、結果「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし」を成功させることができるまでに至りました。あの会社によって、退職した後も、新たなつながりができたり、次につながるステップができたりしました。本当にあの会社には感謝しています。

現状私は無職でありますが、就労移行支援事業所に通う必要性はありません。あの会社にいた3年余りの間に、多くの出会いがあり、多くのチャンスを与えられ、結果バルーンアーティストとして復活できたのです。そしてレクリエーション介護士2級の資格取得、さらに介護職員初任者研修を修了するまでに至り、長年続けてきたバルーンアーティストとしての経験を高齢者・障碍者福祉につなげるという次なるステップにまで結び付けるまでに至ったのです。そして、「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし」の成功…

ここまで書いてきて、やはり

本当に好きだからこそここまでやってこれた

という結論に至りそうです。というか、、現実にそうなのです。正直私は日本でも5本の指に入ります、風船に対する想いの強さ、という点では。

好きなことを好きなようにやってみたら

こんにちは。

本日のソウス「モラハラから回復するするために…」

上記ソウスによると、モラハラ(モラルハラスメント)をする人は、画一的な価値観を押し付けます。その結果、自分が大切にしてきたものを自ら手放さざるを得なくなってしまいます。6年前、2013年に旧Y’s Dreamを廃業せざるを得なかったのも、自分の価値観を曲げて、親の価値観に合わせるためでした。両親そのものがそのまた親の価値観に合わせて自分の価値観を捨てた人で、他人の価値観に合わせて生きることが最善だと信じて疑わなかった人でした。

加えて私も両親も儒教の信者で、「よしんば親が過ちを犯したといえど、子は泣いてそれに従わねばならぬ」という「孝」の教えに従っていました。私の実家の書斎には「論語」があり、私も読んでいました。そして、私は

親の価値観に従い、親の願いをかなえることが親を安心させることであり、すなわち親孝行である

と信じて疑いませんでした。今でも親孝行はそうだと思いますし、親孝行は子の義務だと思っています。よって私は義務を果たしていないことになります。

ところで、旧Y’s Dream時代、私は常に上ばかり見ていました。「誰も見たこともない感動の瞬間を自らの手で創り出す」ことを究極目標に、10年以上の長きにわたって風船に生命を吹き込み続けてきました。その結果生み出された感動の瞬間たちは、とてつもないものばかりでした。何千何万もの風船たちに生命を吹き込み、作品を制作し、感動の瞬間を生み出し、多くの人たちの心に残る感動を創り出せたのです。

これを私は否定しようとしていたのです。実際私は10年間、何もしていなかったように見せかけた職務経歴書を作成したことさえあります。自らをむなしくし、親に従って、親を安心させることが親孝行であり、それが子どもの義務だ、と私は考えていたからです。

これをしようとして、6年前、何週間ももがき苦しんでいたことがありました。

それを止めたのがこれでした。

練習制作したバルーングラフィック

練習制作したバルーングラフィック

「もう風船に生命を吹き込むことはない」と考えた私は、これまでの歩みを何らかの形で残そうと作品集を制作しました。その作品集はこちら その表紙をアレンジしたのがこれなのです。

以来6年間、気が付くと私はこのようなことをやっていました。

ふうせんまつりのクライマックスのバルーンシャワー

好きなことを好きなようにやってみた結果がこれでした。

この空間のいたるところで

おめでとう!

という言葉が飛び交っていました。

自己否定を乗り越え、自己理解を深め、自らを受け入れることができる自分に生まれ変わることができたからこそ、このように自らの夢をかなえることができたのですし、好きなことを好きなようにやってみた結果、その場に居合わせた何百人、さらには映像を見た千人近くの人に、いつまでも忘れることのできない感動と勇気をもたらすことができたのです。

その後半年近い時間が過ぎましたが、もう今ではいろいろな面で困難です。ヘリウムガスの価格はこれをやった時点で暴騰が始まっていて、これに費やしたヘリウムガスは暴騰の兆候をつかんだ時点で早い段階の確保に踏み切るなどして確保していました。その後も暴騰は続き、ヘリウムガスの価格は当時の倍近くになってしまっています。ほかにも様々な点で、多くの方々の支えによってこれだけのことができたと思います。ゆえに、

ありがとう

という言葉も同時に飛び交っていました。

たくさんの笑顔の華を咲かせよう!

広がれ笑顔の輪!

このバルーングラフィック、すでに100枚を超えています。その風船たち一つ一つはすべて、私が生命を吹き込んだ風船たちだけで構成されています。本当に好きなものを続けた結果、これだけのものが生み出されたのですし、自己否定を重ねながらもまだ見ぬ感動を目指して走り続けた10年以上の日々とつながったのです。

好きなことを好きなようにやる、そのひたむきな姿は多くの人の心を魅了します。私が生み出した、創り出した感動の瞬間、その背後には私が幾度となく流してきた汗と涙がたくさんしみ込んでいます。それこそくす玉が華開く瞬間のように、たくさんの感動と笑顔をもたらします。

自己否定を重ね、悩み苦しんでいる皆さんこそ、思い切って一度くす玉のひもを引っ張ってみてください。思い切ってくす玉のひもを引っ張って、自分を認める一歩にしてください。その思い切った一歩が、自己肯定感というかけがえのない宝物を見つけ、はぐくむ最初のきっかけとなるはずです。

かくいう私は、思い切ってくす玉のひもを引っ張ったから、とてつもなく大きなくす玉を華開かせることができ、「見たことのない感動の瞬間を自らの手で創り出す」ことができたのです。

風船の持つ力…改めて痛感

こんばんは。秋の夜長です。

今日2019年11月4日、とあるところでとあるイベントが行われていました。

画像は昨年2018年のものです。

昨年2018年まで、私はこのイベントを運営する会社の社員として、総合的な取りまとめを担当していました。イベントを実施するにあたって、総合的な要の役目をしていたのです、もちろん裏方として。

今年の春、私はこの会社を去り、このイベントの運営は若手社員が中心になったそうです。

で、このイベント、昨年まで裏の取り仕切りを担当していたものとして、かつあのイベントを自ら手掛け、成功させたものして、全くノータッチの一方、ひそかに応援しながら見届けようと思いました。

結果、今年は

風船のふの字も、バルーンのばの字もなかった

といいたいところでしたが…

入口にフォトバックを作っていた(これは風船を使用していた)

とある福祉協賛団体様がバルーンアートをしていた

これだけでした。代わりに手作り感いっぱいの装飾が多数あり、苦心の跡が多々見受けられていました。

肝心の内容は、

新たな挑戦

と銘打って、工夫の限りを凝らしていました。その努力は私に伝わり、とても好感を持てました。これに関しては、正直昨年より良い印象を抱きました。皆さんの努力に触れ、快い一日を過ごしていたのですが…最後に差がついてしまいました。

フィナーレに向かうにつれ、これまでは徐々に人が増えてきていました。ところが今年は逆でした。

会場が閑散とし始めたのです!

私はショックを感じました。何が違うのか…答えは明白でした。

必死に関係者の皆さんが会場を盛り上げようとしているのは伝わりました。

必死にみんなが頑張っているのは伝わりました。

それでも…

これは昨年の別のイベント。

今年も基本的には同じでした。

そして…

やはり何かが足りませんでした。

正直言います。

最後に差が付く決め手となったのは

風船演出

でした。

改めて、風船の持つ強力な力、魔法の力を思い知らされました。

考えてみれば、昨年まで私はこのイベントを

一年の集大成

と位置付けていました。風船以外の面も含む、この会社での仕事すべてにおいてです。だから、私はこのイベントを、別名

グランプリ

と呼んでいました。当然用意する風船、バルーンの作品はその年最高のものにふさわしいものでした。

今年、その「グランプリ」に匹敵する「ダービー」に相当するイベントを自ら企画し、取り組みました。それもあって私はこの会社を退職したのです…安定は失いましたが、取り組んで正解でした。言い換えれば、

この会社で「グランプリ」に昨年まで4度取り組ませていただけたから、自ら「ダービー」を手掛けることができた

のです。

さらに、「グランプリ」に複数回取り組み、「ダービー」を自ら手掛け、成功させるまでに成長させてくださったのも、この会社のおかげでした。

改めて感謝しています。

だからこそ、応援していたのですが…結果は

どれだけ風船の持つ魔法の力が強いか

を改めて痛感する結果になりました。

先月10月、私は今後のバルーンの活動に危機感を抱かざるを得ない局面が相次ぎました。正直、「先は短い」と思いました。でも、続けられる限りは続けよう、ということになりました。

私が風船によって生み出すことができる力が、どれだけの感動をもたらせるか、改めて痛感させられました。

私は風船を一度捨てた人間です。それを拾ってくださったのがこの会社でした。この会社には感謝しかありません。だから応援していたのです。

幸い、私はチコちゃんにはならずに済みました。あの決まり文句を吐き捨てる必要はありませんでした。それだけこの会社に関わる全ての人たちが頑張っていたのは伝わりました。しかし、「ダービー」と呼ぶほどのあのイベントには及びませんでした。そこで改めて、私は

風船が持つ力はどれだけのものか

その風船で私はどれだけの感動を生み出すことができたのか

を痛感しました。だからこそ、

続けられる限り続けることにします。

私にとって風船とは

こんにちは。

とうとうヘリウムガスの価格が暴騰してしまいました。

2018年、すなわち昨年の同時期に比べて約2倍に!

2002年と比較すると約3倍に!

2002年と2018年を比較しても1.4倍でしたので、いかに今年の暴騰ぶりが尋常でないかが分かります。おそらくこの暴騰価格が平均水準になるのでは、と私は思っています。こうなると、

パラダイムシフト

が起こります。つい最近まで容易に手に入った浮かぶ風船が、高級品と化すのです。

そうなると、それに見合った価格設定をしなければなりません。

しかし…今までバルーンリリースは、比較的安い価格ですることができました。50個で1万円強…結婚式場ではこれが、かなりの金額に化けたりしていました。中には「ぼったくりでは…」と思わざるを得ないところもありました。

バルーンリリース

私が手掛けたバルーンリリース、旧Y’s Dream時代のものです。

一方、私が手掛けたスパークバルーンシャワー。こちらは動画でどうぞ。

 

こちらもヘリウムガスは欠かせません。

2012年秋から2013年春にかけて、ヘリウムガスは「払底」状態になり、日本国内に全く入ってこない事態になりました。その後も同じ2013年の秋から冬にかけて断続的に「払底」に陥り、収拾がついたのはカタール産のヘリウムガスの流通が一巡した2014年になってからでした。

2013年9月のブログ記事「私を超えてほしい」

上記のリンクは私が廃業・引退を決め、最後の仕事を終えた後の記事です。

ところが…

ふうせんまつりのクライマックスのバルーンシャワー

自分で自分を超えてしまったのです。

なぜ、私は自分で自分を超えてしまうことができたのか…

旧Y’s Dream時代、私は

自己否定の塊

だったのです。それが、徹底した自己理解の結果、

自分に対して「おめでとう」ということができる

自分で自分のためにくす玉を華開かせることができる

ように変化したことによって、自分で自分を超えることができるまでになったのです。言い換えれば

本当に風船が好きで好きで愛しているからこそ、ここまでやってこれた

のです。

2018年11月のブログ記事「じぶんに{おめでとう!}」

自己理解の大切さについて、本当に痛感しています。

そして、「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし~」を当初予定していた2019年4月末から6月上旬に延期してでも開催にこぎつけ、準備に邁進し、すべてをぶつけた…その結果多くの感動と笑顔を華開かせることができた…正直言って、ヘリウムガス値上げ後は財政面で開催困難になっていたのは間違いなく、ギリギリのタイミングで開催することができました。

今後、この令和の時代、このようなイベントを企画することも実行することも、財政的な面でまず無理でしょう。ギリギリのラストチャンスを私はものにできた、ということになります。

ところで、話は大きく変わりますが、花火大会は1万発でおおむね5000万から1億円の予算が必要とされています。しかし、7号玉(直径約240メートルの華が開く)が1発3万円、3号玉(直径約60メートル)が1発4000円程度として、40発10万円程度から個人で花火業者にお願いできるそうです。

そうしてみると、私が手掛けるバルーン演出は、同じくらいの華やかさで10万円程度から用意することが可能ということになります。今後は本当に「感動の瞬間を創り出してほしい」「私の人生最高の瞬間を彩ってほしい」というお客様だけに提供していきたいです。参考(営業案内)

これまで何度も述べてきましたが、私にとって、スパークバルーンシャワーなどのバルーン演出の仕事は、

最高の瞬間と感動を創り出すための真剣勝負

なのです。そして、多くの人たちの心に残る感動を生み出すことができた時、

天に舞い上がる、体中を突き抜けるほどの快感を覚える

のです。そのほんのわずかな瞬間のために、何日も準備をして、汗と涙を数えきれないほど流すのです。

10万円、あるいはそれ以上出す価値のある感動を私は生み出すことができるのです。それだけの実績を残しているのです。だからこそ、ヘリウムガスの暴騰という事態が起きても、対処できるのです。

おそらく、今後は年に数えるほどしか大掛かりなバルーン演出はすることはないでしょう。しかし、そのわずかな機会のためにたくさんの時間をかけ、最高の感動を創り上げる、その姿からも学ぶことができる人がいるはずです。発達障害、引きこもり、ニート…

自分自身を安く売るべきでないし、その理由もないのが今の私なのです。

価格政策などの営業見直しのため、今年いっぱいは問い合わせのあったものなどを除き、ヘリウムガスを用いた大掛かりなバルーン演出の受注は控えます(ほかのヘリウムガスを使わない{もしくは使っても少量}装飾やバルーン教室、ワークショップは引き続き受け付けます)。来年2020年1月以降は、今年6月に決めた新しい基本方針にのっとって、営業を進めていきます。

聴覚過敏について、どうしても知ってほしい

おはようございます。珍しい朝の更新です。

ただいま「介護職員初任者研修」の学科試験(難関になるとみていた実技試験は何とかクリアできた)の準備のため、バルーンは一時休業中です。が…どうしても今日は皆さんに知っていただきたいことがあり、述べさせていただきます。

聴覚過敏マーク

皆さんは、このマークをご覧になられたことがあるでしょうか?

このマークは聴覚保護マークと呼ばれるもので、2017年の10月ごろに考案されたものなのです。

聴覚保護マークについて

詳細についてはリンク先のほうをご覧いただくとして、実は私にとっては切っても切り離せない問題があるのです。

ASD(いわゆる「アスペルガー症候群」)の障がいを抱える人のうち約20%が聴覚過敏を抱えている、といわれています。私も実はその一人なのです。この障がいを緩和するため、ヘッドホンらしきものをつけている人がいますが、これを理解していただくためのマークなのです。障がい緩和のために着けているにもかかわらず、周囲から「音楽を聴いているの?」という誤解が多発したため、考案されたものだそうです。それこそこのマークが考案されて、まだ周知されていない時期に、私は聴覚過敏の問題で悩んでいました。

これは2年前の「夢フェスタ」というイベントでのバルーンです。問題になったのが右側の赤い大きなバルーン。

この年のアンケートで「大きな風船はやめてほしい」という意見が多数寄せられました。とあるところからの意見が集中したので、そこの管理者様及びスタッフ様から話を聞くと、どうもそこ(とある放課後等児童デイサービス事業所)には複数の聴覚過敏を抱える子どもたちがいたようでした。

私は悩み、次の年(すなわち昨年)の同じイベントでは対策を立てました。それがこちら。

この時の様子はこちらに詳しく述べています。

このように、聴覚過敏の問題とスパークバルーンの関係は切っても切り離すことができないものです。

かくいう私も、実は風船の割れる音が大の苦手でした。くす玉がテレビに出てくると逃げるほどでした。ところがそれがとあるきっかけで反転し、今では日本でも屈指のくす玉好きとなり、それが高じてバルーン演出を20年以上の長きにわたって手掛けるまでになったのです。

この理由はいまだに謎なのですが、いずれにせよくす玉のはじける瞬間に「もえ」、その結果数えきれないほどの感動の瞬間を生み出すアーティストになっていたのも事実なのです。その背後に自ら抱えるASDの障がい特性が影響していたのも事実です。

そういう経緯があったこともあり、私は聴覚過敏に対して「単なるトラウマの部類」と軽く考えていたのも事実でした。ところが、このような苦情多発という問題に直面し、いろいろ調べてみると、のっぴきならぬ問題が分かったのです。

…この「風船恐怖症」、100人中99人は単なるトラウマで、生活に支障となったりパニックを起こすほどではないもので、やがて克服されるものらしいです。ところが、最近になってPTSDを引き起こしたり、聴力を失うケースが報告されるなど、非常にまれながら医学・生理学的に危機的な状況が起きているそうなのです。加えて調べてみると、一種の脳生理学的問題で、極めてごくまれに風船を受け付けない一種のアレルギーに似たケースがあるらしいです。発達障がいの方で、子ども大人問わずそういうケースがある、という報告もあります。

似たようなケースで、犬恐怖症というものがあり、こちらは1000人中1人の割合でPTSDレベルになるケースがあるそうです。こちらも同じように発達障害が絡んでいるケースが多く、事実私はそうです…

これは2018年の1月の私のブログにあった内容です。

このような脳生理学的な問題がある以上、風船の割れる音に対しては何らかの対策が必要で、現実問題撤収時は周囲に人がいる場合、極力音を出さないようにしています。

そして、風船の割れる音のような特定の不快な音に悩む人への対策として、イヤーマフが使われるようになりました。イヤーマフそのものは航空関係やカーレースおよび射撃などのスポーツといった騒音の大きな場所での支障にならないように使われてきましたが、聴覚過敏対策としても普及しつつあります。

イヤーマフについて詳細はこちら(りたりこ発達ナビのページにジャンプします)

ここまで書いてきて、私はあることを思い出しました…それは35年前(1984年)、私が中学生だった時のことでした。場所はお盆の長崎市です…そう、有名な

精霊流し

です。あの爆竹の音にすごい怖い思いをした記憶があります。

精霊流しの詳細については長崎の観光サイトあたりをご覧いただいた方がよろしいかと思うので省略しますが、とにかく余りの爆竹の音のすごさに恐怖さえ感じました…ほかにも同様に恐怖を感じていた親族がいたこともあり、私の父方の祖母が亡くなった際、精霊流しには参加しませんでしたし、初盆の時点ですでに長崎の家を引き払い、叔父を頼って東京へ移り住んでいました(父方の親族が長いこと私の父親以外全員首都圏にいたのはそのためですが、最近長崎へUターンした人がいました)。

話が全く関係のないところに行ってしまったので、元に戻しますが、風船の割れる音が脳生理学的に悪影響を及ぼす人がいるのも事実です。そういう人たちへの配慮が必要だと私も思います。とりわけ私は聴覚過敏によって犬や爆竹、さらにサイレンに過敏に反応する障がいを抱えていることもあり、さらにその障がい特性によって特定の才能に結び付き、それによって多くの感動を生み出すことができたという現実を抱えているだけに、その必要性を痛感しています。

spark!spark!spark!

余談…今年(2019年)の「夢フェスタ」、11月4日の振り替え休日に開催されるそうだが、いまだに内容が固まり切れていないらしい。チラシもようやく印刷に出した模様(しかも裏面については全くの情報ゼロ!)で、社内でも情報が周知徹底されていない模様。過去の「夢フェスタ」の準備状況、さらに今年私が中心となって開催した「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし~」の準備状況と比較しても、明らかに遅れが目立ち、後手後手に回っている印象が否めない。昨年まで取りまとめ役として会社に所属しながら活動していた私から見ても、正直心配で、「大丈夫なのか?」と思わざるを得ない。一方では現在私もかかわっている別の組織がこの10月に「夢フェス」なるものを企画しているようだが、こちらの方が比較的早く準備が整いつつあるのが現状。このままでは「夢フェス」の代名詞が変わりそうな気がする。私は10月の「夢フェス」は別の仕事の関係で行くことができず、11月4日の「夢フェスタ」は昨年まで運営にかかわっていたこともあり、見に行くことにするが、少なくともこの舞台を目標にしてきた利用者様の想いを形にできるものにしてほしい。今年は一切風船の「ふ」の字も、バルーンの「ば」の字もびた一文出さないつもりで、完全なお客様として「採点」に行くつもりであるが、もし何の工夫も相違もなく、惰性でやっているような印象を受けたら、きつい警告レベルのメッセージを発するつもりである。

来年4月以降

こんばんは。

広島市内のとある結婚式場のホームページによると、

「令和2年3月末をもって、業態変更{ホテル}することになり、閉館する」

とあります。

この結婚式場、私が旧Y’s Dreamから足掛け15年近くの長きにわたり

メインテーブル ウエルカムゾーン

バルーン演出を手掛けてきた結婚式場です。

かつてはほかにも

エスカリエ青山メモリアル2007-2015

手掛けてきた結婚式場がありました。

しかしながら、どうしたことか、私が手掛けてきた式場はここ数年閉鎖が目立ちます。

全国的にも、結婚式場の閉鎖、さらには経営破綻や自己破産が目立ちます。閉鎖に至らなくても、ブライダルからの撤退もホテルを中心に多いです。

少子高齢化、結婚式を挙げないカップルの増加…が主な要因ですが、ブライダル業界の「自業自得」の面も残念ながらあるといわざるを得ません。つい最近もとある大手ブライダル業者が重大事故レベルの不祥事を惹き起こし、全国的な騒動になったばかりです。

一説によるとウエディングプランナーさんの疲労が深刻、うつ病などの精神疾患に陥るケースも多発していると聞きます。

さらに、これはごく一部であるが、新郎新婦様がクレーマーになってしまうケースもあると聞きます。私も旧Y’s Dream時代、現実に一度遭遇しました。この時は作品を全部作り直しするために新幹線に飛び乗って東京まで出向きました。

どちらにせよ、ブライダル業界は

ブラッドオーシャン

なのが現状です。バルーン業界は市場は縮小する一方でデコレーターは増加の一途をたどっていることもあって、レッドオーシャンになりつつありますが、それよりはるかにひどいのがブライダル業界の現実なのです。

一方で、私がやってきたことは、客観的にみれば

すごいことだった

ことが、一度風船から離れてみてわかったのです。全世界を相手にするほどのレベルの高いところで競い合うと、相対的に低く見えてしまうので、いかに自分のやってきたことがすごいのかがわからなくなってしまいますし、ある角度から見れば「ずっとホストをやってきたのと変わらない」とさえ評価されてしまいますが、現実にはやってきたことは「すごい経験」になっていたのです。

その経験が求められている分野がありました。それは

福祉

の分野でした。障がい児、障がい者、そして高齢者…放課後等デイサービス、就労支援、介護予防、そして特養・老健・高齢者デイサービスでのレクリエーション…風船の需要も、私が経験してきたことを伝える需要も、大いに眠っていました。この分野での需要は掘り起こせば掘り起こすほどありました。

すでに私は福祉とエンターテイメントの融合を目指して、動き始めています。レクリエーション介護士の資格を取得したのもそのためでした。その中で介護の確かな知識の必要性を痛感し、介護職員初任者研修を受講しているのです。

で、見出し。

来年、2020年、令和2年4月以降、私は婚礼関係の一切の会場指定から外れることになります。

来年4月以降、すべての婚礼演出及び装飾は、持ち込み限定とさせていただきます私の風船に対する想いと姿勢に共感していただいた方(新郎新婦様及びそのご家族や友人の皆様など、範囲は問いません)にのみ、最高の瞬間を創り出す演出及び装飾等を提供することにしますので、件数を絞り込ませていただきます価格もそれなりにかかることになりますが、いただいたご予算以上、お願いしていただいた皆様のご期待を大きく上回る、生涯忘れることのできない感動を提供させていただきます。

ただし、縮小はしてもやめるつもりはありません。なぜなら

自ら知恵と汗を出して創り出した感動の瞬間が多くの人の心を動かしたときの達成感と爽快感と高揚感は、何物にも代えがたい、そのような仕事を続ける、そのような作品を生み出し続けることが、福祉の現場、とりわけ障がい児や障がい者、さらにはやりたいことがわからない若者たちにとって夢と希望を与えることにつながるからなのです。

6年間を振り返ると…

こんにちは。

6年前、2013年の今頃…

「もう2度と風船を膨らませることはない」

という決意をしていました。

ところが…

2015年の作品たち

再び私は風船に生命を吹き込むようになりました。

2017年の作品たち

障がいのある人たちが自信を身に着け、自立して社会生活を送る手助けとしてのバルーン。

自らが新たな創造や表現をするのではなく、次に続く世代が新たな創造や表現をしていく手助けをしていく必要がある…

私の立ち位置は、大きく変わっていることを改めて痛感した一日になりました。

その中でできること…

私のバルーン、風船に対する思いを、同じ障がいに苦しんでいる人たちや、次の世代を担う若者や子供たちに伝えていくということ…

2016年12月のブログの記事に、このようなことを書いていました。

その想いは、2015年の実質活動再開以降、変わっていませんが…

 

この動画は、自分で制作したものです。一緒にイベントに参加された方が撮影したものをいただいて編集しました。

このバルーンショー、大したことをやっているつもりは本当にないのですが…

すごーい!

という声が聞かれました。

これで「すごい!」と思うのなら、これはどうなるのでしょうか…

自分自身でも、これを成し遂げたことは「すごいこと」だと思っていますし、誇りに思っています。

そして、これを成し遂げたことによって、正直いつ引退してもかまわない、とさえ思えるようになっているのが本当のところなのです。

今私は、「介護職員初任者研修」を受けています。すでに実技研修も後半に入り、提出課題はすべて終了、実技試験(口頭試問含む)と学科試験も近づいています。この研修を受けている理由は今後本格的に展開を予定している高齢者及び障がい者・障がい児向けのバルーン教室の活動に生かすのが最大の目的であり、2017年に取得した「レクリエーション介護士」の資格だけでは片手落ち、不十分であることを痛感したということが最大の理由なのですが、状況がより厳しくなった際に、完全引退してほかの仕事をする際の資格活用という理由もあります(というより、両親はこれを望んでいる、それゆえややこしい状況が起きている。このややこしい状況は6年前と全く変わらない。それもこれも、本当の原因に両親が向き合わず、臭いものに蓋をしようとするからだ)

ボランティア活動では、このようなこともしました。正直これだけのことをするのに、10万円程度お金がかかっています。先述の「ふうせんまつり」用に確保していた資金を充当しました。

それでもなぜ、私はこのようなことをするのでしょうか…

私が生命を吹き込んだ風船たち、私が創り出した感動の瞬間たちが、数多くの笑顔の華を咲かせている

からなのです。言い換えれば

感動の瞬間を創り出すことができた時、私は天にも舞い上がるような達成感と高揚感を感じることができる

のです。実際、「ふうせんまつり」では、「すごーい!」「やばい!」といった絶賛の言葉のみならず、「おめでとう!」という言葉までもが飛び交っていました。

自己否定の塊だった私が、自分自身に対して「おめでとう!」ということができるまでに回復し、次の段階に踏み出すまでに至ったのがこの6年間だったのかもしれません。

参考までに6年前、2013年はこのようなことを思っていました。

(復刻)正直なところ…私はもう風船は見たくない

いかに当時、自己否定の塊だったかが分かります。しかも当時のブログには、もっと過激な内容が…(とてもここでは述べられません)

それを乗り越えて編み出されたのがこちらです。

これを見れば、私にとって風船たち、とりわけスパークバルーンやバルーンクラッカーといったものは、

くす玉に入っているのは風船や紙吹雪やリボンだけではない

ということが分かります。私の想い、努力、さらには汗や涙といったものまでがぎっしり詰まっています(現実には汗や涙は入っていませんが)。それらが大輪の華を花開かせ、多くの人に感動を与えている…という事実。だからこそ、「ふうせんまつり」のフィナーレで創り出すことができた感動の瞬間に、「おめでとう!」という言葉が飛び交ったのでしょう。

大切にすべき自己肯定感

こんにちは。

いつもはきらきらピカピカしているようなことばかりここで述べているのですが、今年(2019年)のお盆は「ひきこもり」と化してました。台風10号が来て、終戦記念日の日、すなわち8月15日が西日本一帯ゴーストタウン化してしまったというのも大きいですし、このお盆の間にターミナルケア、すなわち終末期介護について考え、「その人にとって本当に幸せな人生とは何だろうか」と深く考え込んでしまったりもして、久しぶりにネガティブな気持ちで過ごしてしまいました。

ふうせんだいすきおっさんのひとりごと

たまにリンクを張る裏ブログ。

こんなにネガティブになったのは久しぶりです。6~7年前に逆戻りしたかのような日々でした。

実はすでに来年春までのスキームを立てており、その中で公的制度を活用して態勢を整え、新たにスタートしようという方向性なのです。そのスキームと方向性を親がぶち壊しにしようとしたのです。

このような行為は親の不安からきているものなのでしょうが、そもそも親の不安が的外れといっても過言ではありません。こういうのを

過干渉

というのです。

あまりにもネガティブな日々を過ごしていた私は、たまりかねてバルーングラフィックを制作しました。

笑顔はみんなを幸せにする

いつものバルーングラフィックですが、これを制作しているときはいつも

幸福感と自己肯定感

を感じます。

そもそも、このバルーングラフィックの素材、基本的に全部私の作品たちです。言い換えれば

私が生命を吹き込んだ風船たちだけで制作することができる

のです。

考えてみれば、これはすごいことではないでしょうか。

それだけではありません。私はこのバルーングラフィックの世界観をリアルに作り上げることまでなしえたのです。それが

ふうせんまつりのクライマックスのバルーンシャワー

「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし~」

でした。

自分がなしえたことはとてつもなくすごいことであり、その結果、数えきれないほどの笑顔の華を咲かせ、たくさんの人に幸せをもたらしてきました。これが事実です。

それができるようになったのも、自己否定を克服し、自分に「おめでとう」ということができるまでに回復したからなのです。

つまるところ、親については「親自身が過干渉に育てられており、その背景は歴史と風土にある」という結論に至っているので、私は「どうしようもない」というあきらめがついており、それを受け入れることから始まってここまで回復できたのですが…だから私は鹿児島詣で(家の墓がある)を欠かさないのです。

逆に言えば、バルーングラフィックを制作するきっかけになったのが、

自分のしてきたことを振り返るトレーニング、自己否定を是正するためのトレーニング

でした。6年前、2013年、それこそ血で血を洗うような、泥沼化していた親子闘争の結果旧Y’s Dreamを自主廃業に追い込まれ、徹底的な自己否定を自分に課し、自己洗脳を試みていた私は、どうもがいても堂々巡りを繰り返すばかりでした。それを止めるために、方向転換をして

バルーンで私がしてきたことを振り返ろう

ということから制作を始めたのです。

その後少しずつ現役復帰をしていったのですが、2016年後半あたりからこのような声が少しずつ聞こえ始めました。

バルーングラフィックを見ると元気が出る

私はバルーングラフィックの作品展開催を検討し始めました。しかしながら諸事情もあってなかなか実現せず。そんな中

平成が終わる

というニュースが飛び込んできました。その後は作品展構想を夢見て、資金を貯め始め、ついには実現させることができたのです…「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし~」という形で。

自己肯定感を培うためのトレーニングとして制作し始めたバルーングラフィック。すでに97作品を数え、現実にすることまでも実現しました。しかもすべて自らの作品です。ことバルーンに関する限り、他人の作品は一切含んでいません(素材集からのイラストを活用している例外もある)。それらによって多くの人を笑顔にし、元気にする…西日本豪雨の被災地に赴き、実質ノーギャラ、一切自弁でバルーンショーを制作したこともあります。それらの風船たち、それらの作品たち、そして生み出した感動の瞬間たちが、どれだけの人を幸せにし、どれだけの笑顔の華を咲かせて来たのか…そしてそれができるまでになった自分に対して「おめでとう」ということができるまでに回復できたという事実…

だから次なるステップに踏み出すこともできるのです。「レクリエーション介護士」の資格も、必要になるであろうと見越して取得しました。実際に活動してみて必要性を感じたから「介護職員初任者研修」を受講しているのですし、自分の経験が「ひきこもりやニートからの脱却に求められている」からこそ、ラジオパーソナリティの活動に踏み込んだりしているのです。

私は敢えて、両親にこれらの努力を見せていません。唯一伝えているのは、「レクリエーション介護士」の件と、「介護職員初任者研修」の件だけです。「ふうせんまつり」のことなど、私の両親は知りません。「ふうせんまつり」の宣伝活動の際、テレビだけは私が表に出ませんでした。徹底した隠密活動を両親に対して行う一方、両親が存在を知らないメディアには積極的に動きました。「信じる者に説明は無用である。信じないものに説明は無駄である」これはキリスト教の教えの一つですが、私の両親は「信じようとしない」のであり、もはや何をしても無駄と判断しています。実際、私は母親の病気が治ると信じて、旧Y’s Dreamを廃業してバルーンアーティストを引退したのですが、現実は母親の病気は治りませんでした。原因は違うところにある、と考えた結果、母親の育てられ方に大きな問題があり、背景には歴史と文化と風土が隠れていたということまでわかったため、私はある意味あきらめをつけることができたのですが…(遺憾なことに、私の母方の叔母の「緩慢な自殺」で、このことがよりはっきりした)

「バルーングラフィック」しかり、「くまさんのげんきだま」しかり、そして「ふうせんまつり」…一度奈落の底まで落ちたからこそできたことだと私は考えています。そして、そこから伝えることは、

自分が自らの手で華開かせるための「くす玉」を見つけ出し、それを華開かせるための努力を積み重ねることの大切さ

であり、

そうすることによって達成感を味わい、自己肯定感を培うことができる

その結果生きる力に結び付く

ということです。

いつの間にか…

フェイスブックの友達が500人に達していた…

というわけで、

くす玉のひもを引っ張ってみよう!

そもそも私はフェイスブックを始めたのが2015年と遅かったです。それまではSNS全般に疑問を抱いてました。今でもLINEはやっていません。個人情報筒抜けの懸念があるからなのです。

その私が、フェイスブックで500人もの人とつながることができた…ということ自体、すごいことです。私の場合、あったことがない人は基本フェイスブックで友達になることはありませんし、場合によっては友達申請をしてきても削除します。

さらに言えば、私はバルーン業界の現状に疑問を抱いていることもあり、バルーン業界関係者の友達はごく限られています。1997年の活動開始以来長年加盟していたJBANというネットワークからも数年前に離脱し、JBANが主催するコンベンション、すなわちバルーンアートの全国大会(この大会、日本ではトップクラス、世界でも有数のバルーンアートの大会に成長している)も2016年を最後に参加していません。このコンベンション、将来を担う若手にどんどん参加してほしいのが私の本音であり、私は「もういいか」と思っているのが現状です。

そういう私が500人もの人とつながることができた…

「ふうせんまつり」も、皆さんの協力なくしては実現しなかったです。

ありがとうの気持ちをを込めて…

あれだけ自己否定の塊だった自分が、今では自分自身に「おめでとう!」といえるまでになった…

その私を応援してくださった500人の皆さんに「ありがとう!」

すごいことをやっているつもりは…

ないんですが…

こんにちは。

結果的に私がやっていることは

客観的にみてすごいこと

なのでしょう…

今日(2019年7月28日)、子どもたちがそれぞれ企画を考え、自己表現をして、販売に取り組むイベントが広島市内の某所で行われました。主催しているところが私と関係があるところなので、応援がてら様子を見に行ったのです…すると驚異的なものを発見。

ふうせんまつりのクライマックスのバルーンシャワー

この時のバルーンシャワーで降り注いだ風船のいくつかが、ディスプレイとして使われていたのです。この「ふうせんまつり」からすでに8週間、約2か月が経過しています。

この風船を今日のイベントのために、大切に保管していたのです!

普通ゴム風船は、上等なものでもよほどきちんと保管しない限り1か月持つということはまずありえません。この私が生命を吹き込んだ風船たちを大切に大切に保管していたのです。そして「ここ一番」というときに使ってきたのです。

この風船たちでもたらされたものは、

いつまでも忘れることのない感動

でした。その感動を生み出した風船たちを大事に保管しているということ自体、私が創り出したもの、私がなしえたことがいかにすごく、素晴らしいことだったのか、ということに結果としてなります。

これを踏まえて、私はある構想を具体化しようかと考えています。

企画:風船でとてつもない達成感と高揚感と自己肯定感を味わおう!

この企画は「ふうせんまつり」とは異なり、参加される皆さんから会費(¥40000程度)をいただいて1泊2日の合宿形式で行うことにしています。原則として親子での参加をお願いする形にします。

1:参加される子どもさんに作りたいものを自由記述式でいくつか書いてもらう。

2:事前課題として、100個の風船とハンドポンプを与え(費用に含む。ハンドポンプは参加されたお子さんにプレゼント)、膨らませる練習と口を結ぶ練習をしてもらう。

3:子どもさんは、希望調査で作りたいもので一番多かったものをベースとした作品をバルーンオブジェとして制作する。

4:親御さんは子どもさんがバルーン作品制作に取り組んでいる間、食事の準備(焼肉バーベキュー)に取り組む。

5:親子でバーベキューの夕食。

6:夜は子どもさんは引き続き作品の制作。親御さんはバーベキューの片付けののち、敷地内の別の場所にてスパークバルーンシャワーの制作をしながら交流会。

(就寝~起床)

7:ラジオ体操・朝食

8:子どもさんは制限時間までに作品を完成させる。親御さんは敷地内の別の場所にてスパークバルーンシャワーとバルーンリリースの準備。

9:制限時間になったら、親御さんを子どもたちが制作している部屋へ呼び、作品を見てもらう。また、一般のお客様にも自由に入っていただく。

10:親御さんにスパークバルーンシャワー及びバルーンリリースを運んでいただき、子どもさんが作品を制作し、展示した部屋でスパークバルーンシャワーを実施する。

11:さらにグラウンドに移動し、バルーンリリースを行う。

12:昼食をとりながら振り返りを行う。その後片づけを実施し、現地解散。なお制作した作品は場所を移動したうえで当分の間(10日間程度)会場に展示し、皆さんに自由に見ていただく。

※広島から距離がある場所での開催となるが、公共交通機関がある程度確保されている場所を想定しています。最寄りのJR駅ないしは高速バスストップ(広島バスセンターから当該バスストップまで直行高速路線バス利用)から会場まではジャンボタクシー等での送迎をオプションで用意します。

※親子で参加される場合、直接自家用車で会場までお越しいただくことも可能にします。

※希望者は作品の一部を持って帰っていただくことも可能にします。その場合、自家用車もしくはJR利用を推奨します(高速バスは車内が狭いため持ち帰り困難)

※広島県内以外、関西や首都圏等からの参加も可能にします。その場合、JRで最寄り駅まで来ていただき、オプションの送迎相乗りタクシーを利用していただきます(福山駅で新幹線等から在来線に乗り換えていただく)

※会場は福山市郊外のとある場所を想定しています。

これはまだ構想の段階であり、実現できるかどうか難しい面が多々あります。これから企画書を作ってみますが、まだまだ「実現できればいいな」の夢物語のレベルです。

しかし、私は…

夢物語にすぎないように見えた「ふうせんまつり」を現実にした

バルーングラフィックの世界を現実(リアル)にした

という実績があるのです。

夢を現実にすることができるだけの実力がある

そして、夢を現実することによってどれだけの人を幸せにできたのか

そうしてみると、私はやはり

すごいことをやってのけた

のかもしれません。